見出し画像

長野ミライ会議 #6 「グローバルの先へ!教育環境のミライを考える」から考えたこと。

少し時間が経ってしまいましたが、11月13日に開催した長野ミライ会議#6のご報告です。

藤原くんと「せっかくなら、みんなに話を聞いてもらわないともったない!」という方々が長野近辺にきている時に、どなたでも参加できる場を作ろうというところから始まったミライ会議ですが、早くも6回目を迎えました。

今回は高校生向けのサマースクールで全国的に有名な「HLAB」代表の小林亮介さんを招いての開催となりました。

「グローバルの先へ!教育環境のミライを考える」というお題の通り、HLABが実施するサマースクールの内容についてというよりは、学びをめぐる様々な状況が変化する中で、教育環境はどう変わっていく(べきな)のか、ということがテーマに。

当日は、高校生から高校の先生、デザイナー、そしてまさかのまさかでフラっと参加された阿部知事(笑)まで、30名近い多様な方々が参加してくださいました。

当日の様子。いつも通り、「今日の時間から持ち帰れたら嬉しいもの」を共有する時間からスタート。


当日の詳細な内容については省略しますが、ここでは個人的に思ったこと、面白かったことをいくつか書いておきたいと思います。

コンテンツが無料化する「限界費用ゼロ社会」に

今回の講演では、まず教育に限らず、今私たちが直面している大きな社会的変化や社会の潮流について考えるところからスタート。小林さんからは、その潮流の一つとして、少し前に本でも話題になった「限界費用ゼロ社会の到来」と、その時代における「プラットフォーマーの重要性の高まり」が挙げられていました。

「限界費用ゼロ社会」の関連記事:http://toyokeizai.net/articles/-/89717

「限界費用ゼロ社会」という言葉については、詳しくはこの言葉がタイトルになっている本などを読んでいただきたいですが、最近よく聞く「シェアリングエコノミー」とも関連する概念でもあります。

これまでの社会(日本は未だにそうですが)のような「特殊な免許をもった専門家的な人間や組織が独占的にサービスを提供する(結果として既得権益化する)」のではなく、AirbnbやUberのように、ニーズがマッチングする顧客同士をつなぐプラットフォームサービスが大きな役割を担う社会になっているという変化は、今の時代を象徴するものの一つでしょう。その前提には、スマホやアプリなどの普及など、デジタル化やデバイス技術の急速な進化があります。

このトレンドは教育の分野にももちろん共通して起こっています。MOOCsに代表されるように、一流大学のコンテンツをはじめ様々な教育コンテンツがオンラインで無料で(しかも、NHKのドキュメンタリー番組のようなクオリティで!)見られる時代となり、優良コンテンツの無償化・低価格化が急激に進んでいます。

日本でもリクルートの「スタディサプリ」のように、なんと月額1000円以下で、集中力が保てる時間に編集された優良な授業コンテンツを、パソコンやタブレット、スマホとwifiさえあれば、世界中どこからでも享受することができるようになっています。

少し脱線しますが、僕自身、大学院生時代に高校生向けに世界史のオンラインコンテンツを作成するバイトをしていたのですが、そのサービスプラットフォームの利用料は約1万円/月。それからわずか5-6年のうちに、同じようなサービスが、その当時よりもはるかに高いクオリティと選択肢を持って、1000円以下で利用できる時代になったのは本当に凄まじい変化だな・・・とつくづく思います。

オンラインコンテンツで「学びの効率化」が進む?

小林さんによると、ある調査では、これまでのやり方ではその習得に10000時間かかっていた学習内容が、オンラインコンテンツを効率的に利用することで2000時間で済むという結果があるとのこと。この話にはとても驚きました。

さらには、一方的に先生が生徒に"教授"する従来型の授業では、新しい学びとして定着するのは、先生が提供する話のうち、わずか1割程度しかないという調査結果も。ちなみに、残りの9割のうち4割が「すでに知っていること」を話していて、5割は「何を言っているのか理解できないこと」を話しているのだそうです。

これについては具体的なソースがないので本当かどうかしっかり確認する必要がありますが、私も含めて、この「4:5:1理論」(これは私の方で勝手に付けた名称です笑)を実感値として理解できるという方も多いと思います。具体的な数字で示されると「なんで一斉授業を我慢して聞いていなければならないんだろう」「一斉授業って、なんて非効率なのだろう」「高校時代ほとんど寝ていたのは、俺のせいじゃなかったのか!笑」なんて思ってしまうかもしれませんね。


学校教育が今優先すべきは、学びの効率化ではないか

こういう時代の変化を踏まえて、「低価格で優良なデジタルコンテンツがあふれるからこそ、多様な人が交流できる物理的な場(プラットフォーム)が大切だ」と小林さんは言います。その思いを具体化したのがHLABサマースクールであり、彼が今後取り組んでいきたいプロジェクトなのだそう。

確かに、いくらオンラインコンテンツが豊富になり効率的に学習できる環境が整ったとしても、家に引きこもってオンラインコンテンツですべて済ませられるような「教育環境」を実現したいとは、誰も思えないですよね。そんなことが当たり前になり、誰もが物理的なコンタクトをせずに学校教育を通過できるようになったら、それこそディストピアでしょう。

全体を通じて僕自身が思ったことは、「今の学校教育がもっとも優先度を高めて進めるべきことは、こういった技術革新を学校教育の内側にどんどん入れ込んでいき、学びの効率化を進めることではないか」ということ。

その実現のために、先生が教育コンテンツを「一方的に教える」存在から、生徒の「学びのマネジメント」をサポートし、本当に理解できないところを個別に教える存在に変化していくこと(こんなことは、10年以上前から「学びの効率化」を進めてきた学習塾では当たり前の指導スタイルではありますが)。

そして、効率化して余った時間を生徒にとっての自由な時間として還元したり、学校というリアルな場でしかできない体験や経験(=学校しか提供できない価値)に変化させたりすること。このプロセスが何よりも最初に取り組むべきことなのではないか、と今は思っています。

高校時代を思い出せば、授業の思い出よりも部活動や授業外の活動で仲間と過ごした時間のことを思い出す人も多いでしょう。こういった時間の中で、多様な価値観と触れ、現実社会との接点をつくり、自分の役割や、自分のやりたいことを見出していくプロセスをいかに設計できるのかが、今「リアルな場」を持つ学校教育が提供すべき価値なのだと思います。

僕自身がここ数年長野県の高校教育に関わらせていただく中で感じてきた最も大きな課題の一つは、ズバリ「先生も、生徒も忙しすぎる」ということ。特に、生徒の忙しさ(しかも、主体的ではない忙しさ)には大きな危機感を感じます。その背景にあるのが、引き算のない、「追加主義」的な教育環境のあり方だと思います。

忙しすぎる現状に、さらに「新しい時代に必要な新たな能力」を学び、獲得するためのカリキュラムを追加的に導入するやり方は、さらなる多忙な日常と、モチベーションを伴わないプロジェクトを生み出すだけであり、誰にとっても幸せな結果を生まないはずなのですが、現状では、「減らす前に追加する」ことが繰り返されているように感じます。そして僕自身も、その現実に加担してきたことを実感しています。

それに、課題設定能力や問題解決能力、コミュニケーション能力など、「新しい時代に必要な新たな能力」を身につけるためには、プロジェクトを試行錯誤する時間(つまり、じっくり取り組む時間)が必要不可欠。だからこそ、デジタル時代に可能になった「学びの効率化」に集中的に、優先度高く、先に取り組むこと。そして、リアルな場でしかできないことに割くべき時間を生み出していくこと。

小林さんの話を聞きながら、今の教育環境にとって、これが何よりも優先課題なのではないかと感じました。

これについては、その賛否は別として、「ゆとり教育」のように学びの内容を減らすというわけではないので、保護者や社会の反発も比較的少ないのではないかと思うのですが、、、、。先生方をはじめ、教育に関わる方々の意見を聞いてみたいところです。

本当は、ミライ会議終了後に参加者の中から出てきた「違和感」についての個人的な意見についても書きたかったのですが、、、ちょっと長くなってしまったので今回はこの辺で。また別の機会に書いてみたいと思います。

小林さん、改めて素晴らしい示唆に富むお話を、ありがとうございました!今後とも、小布施をはじめ、信州をどうぞよろしくお願いします^^

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?