あらかきしのぶ

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最近の記事

15 「商業高校を変えた女性」 

 平成22年ころ、ある商業高等学校に勤務していた時のことです。  私は、初めて、生徒指導部を希望しました。 生徒指導部って、学校で一番怖そうなガタイのいい体育の先生方がなるイマージ。 「早く教室に入れー」などと怒鳴っているイメージがありました笑  なので、あえて、私は生徒指導部を希望しました。  勤怠係のメインの仕事は、遅刻指導でした。 それまでの指導は、1か月に3回(だったかな)遅刻をすると、生徒を呼び出しして、5回すると保護者に来てもらって管理者の講習会を受けるとい

    • 14 私の目標は、J社と仕事をすること

       修学旅行の受け入れを始めた2年ほど前、私には大きな目標がありました。 それは、最大手の旅行社Jと仕事をすること。 1年目は叶いませんでしたが、2年目にあることがきっかけになって、旅行社Jと繋がることになりました。  そのきっかけとは、あるグループ企業の研修でした。 あるグループ企業が、顧客を数十人呼んで、研修を兼ねた交流会を開いたのですが、その講師に私を指名してくれたのです。  そこには、旅行社Jの方が来ていて、そこでの出会いがきっかけとなり、旅行社Jと繋がることが

      • 13 私はなぜ、観光業で働くのか!?

         私は、教員を早期退職してから、あるリゾートホテルの経営戦略室で働いていました。その後もずっと観光業に従事しています。  なぜ、観光業で働くのか!? 観光業は、沖縄のリーデイング産業に位置付けられているのにも関わらず、観光収入が沖縄で循環していないと感じていたからです。 コロナ前の話ですが、沖縄の観光客数はハワイを超え、観光収入も毎年最高値を更新しているのですが、沖縄は豊かになっているのか?と言うと、実感できない部分が大きいと思います。 「沖縄県観光産業実態調査」をみる

        • わたしについて 12 〜社会体験ツアーの企画〜

           教員時代に、多くの生徒達を見ていると、家庭と学校以外の大人と接する機会が少なく、社会とつながっている感覚が薄いことに気づきました。 また沖縄に対する肯定感の低さがあり、沖縄の未来に期待をしていない様子が伝わってきました。(わたしについて11より抜粋)  真剣に生きている人たちがいて、家庭と学校以外にも、社会はこんなにも広いんだということを知ってもらうために、家族と学校以外の第三の大人と接する場を作りたい、本気の大人たちともっと会わせたい、もっと社会と繋がるような場を作りた

        15 「商業高校を変えた女性」 

          わたしについて 11 〜高校生から感じたこと〜

           以前にfacebookでも少し触れましたが、私が教員として日頃から感じていたことを書きたいと思います。 私は、大学を卒業後、元国会議員秘書をしたのちに、高校教諭として沖縄県の公立高校に21年間、勤めていました。その中で、これまで学校現場で数千人の生徒たちを見てきました。 その際に、感じていたことをお話したいと思います。 生徒の中には、学校行事や部活動などの青春を謳歌する子どもたちもいる一方で、勉強ができないからとか、自分の発言に自信がないからと目立たないように息を殺して

          わたしについて 11 〜高校生から感じたこと〜

          2024年の決意。

           明けましておめでとうございます  新年から悲しいニュースが続き、心を痛めております。 noteで今年の決意を書いていいのか、3日の今日まで非常に悩みましたが、被災された方々に想いを寄せつつ、私にできることをしていこうと思っています。    今年は、「挑戦」と「覚悟」の年になります。  会社内では、新規事業部の立ち上げをしていきます。 社会課題解決のための部署であり、社会起業家の輩出をしていくことを目的とした部署になります。  また、民間団体「プロジェクト50」では、

          2024年の決意。

          わたしについて⑩ 〜ある進学校にて〜

           最初に赴任した学校は、中部にある進学校だったのですが、そこではとても貴重な経験をしました。  授業中に、生徒に質問をして、「これ、わかる人?」と聞くと、「はい、はい、はい、、」とほぼ全員が手をあげて、アピールしてくるんです。 「先生、私に当ててー」と。  これには、とてもびっくりしました。 私は、那覇で生まれ育ったのですが、そこでは、できるだけ目立ちたくないと考える人がほとんどで、手を挙げる人なんていないのが普通だったからです。  本当に驚きました。 人生を謳歌して、

          わたしについて⑩ 〜ある進学校にて〜

          わたしについて⑨ 〜文化祭12月20日〜

           私は高校教師として21年間、県立高校に勤務していたのですが、 その間は本当にいろんなことがありました。  ちょうど今日12月20日、facebookで「10年前の今日の出来事」と通知があったので、その写真をアップしてみます😀  高校3年生のクラス担任をしていた時なんですが、文化祭で、スーパーマリオ物語をやりたいと話が盛り上がり、企画からシナリオ作りまで生徒に任せていたら、気づいたら私は「縄跳びをする小学生役」に、笑  40歳の小学生役です、笑😀 虫かごを持って、赤帽を

          わたしについて⑨ 〜文化祭12月20日〜

          わたしについて⑧ 〜保証人になり1,600万円を返済〜

           20代前半の寝たきり生活を経て、職場に復帰し始めた頃、家族が不動産会社を始めたいと言い出しました。  私の他には家族の中で正社員で働いている人はいなかったので、母が「忍が保証人になったらいいさ」と言うので、母が言うなら大丈夫かなと軽い気持ちで承諾したんです。  そして2年くらい経った後のことなんですが、消費者金融や税金や公共料金、銀行などからものすごい数の請求書がうちに届くようになりました。  その借りている本人は、うつ状態になって、引きこもるようになっていましたので

          わたしについて⑧ 〜保証人になり1,600万円を返済〜

          わたしについて⑦ 〜寝たきり生活〜

           23歳くらいの時に、教員採用試験を受験するために、睡眠時間を1時間、食べる時間がないので1日パン1個のような生活をしていたら、半年ほどで33kgまで落ち、餓死寸前と言われました。  体重を戻し、体調を整えながら、臨時教員としてしばらく勤務をしていましたが、激務の中で体調が戻らずに、ついに寝たきり生活になってしまいました。    生理が7年くらい止まり、気持ちだけが焦るばっかりで、身体が付いてこないというのは、とても苦しい経験でした。  「せっかく合格したのにこんなになっ

          わたしについて⑦ 〜寝たきり生活〜

          わたしについて⑥  〜餓死寸前〜

           大学卒業後は、ある元国会議員の秘書をしていたんですが、うちの事情を考えると公務員の方がいいと思い、教員採用試験を受験しようと決めました。  ただ、試験日まで半年間しか時間が無かったため、「半年間で、沖縄にあるすべての参考書を制覇する!一度で受からなかったら諦める!」と目標を立てました。 うちを立て直すため、一度で受からなかったら止めようと思っていました。  眠くならないように24時間18℃に室温を設定し、食べる時間ももったいない、トイレに行く時間ももったいない、1日の勉

          わたしについて⑥  〜餓死寸前〜

          わたしについて⑤ 〜ヒッチハイク旅が過去最高視聴率〜

           大学3年生のとき。 広告代理店に勤めている幼馴染の友人から、「あさっての午後は空いてる?番組のゲストがいなくて困っている。首里城で待ち合わせたい。」と急に電話がありました。  予定が無かった私は、当日、首里城に向かいました。 その当時は、猿岩石のヒッチハイク旅が注目されていて、番組内でもヒッチハイクの旅をしてほしいとのことでした。  今で言うと『Aランチ』(琉球放送)の枠。 土曜か日曜のお昼13時ごろから流れている番組で『トメたんコロリ』というコーナーでした。  ト

          わたしについて⑤ 〜ヒッチハイク旅が過去最高視聴率〜

          X’masにホールケーキを食べたことがない!?

           クリスマスの時期が近づくと、街中はツリーや装飾が華やかになり、幸せそうなカップルが街中を歩いているように見え、幸せ感を感じると同時に、「その日をどうやり過ごそうか」と考える心の狭い私です、笑笑😀  毎年、この時期になると思い出すことが1つあります。 ある高校に勤務していた時のことなんですが、クラスの生徒が「先生、みんなで丸いケーキが食べたい」と言ってきたんです。  「じゃあ、学級費があるから、それでホールケーキを買ってこようかー、なんのケーキが食べたいの?」と聞きました

          X’masにホールケーキを食べたことがない!?

          わたしについて④  〜年収22万でよく大学に入ったね!?〜

           大学入学時に、学内奨学金の申請をしたのですが、その面接の際に面接官が「年収22万なの?よく大学に入ったね」と相当驚かれていました。  私は、その言葉を聞いて、やっと家の事情が分かりました。 それまでは、自分でお金を手にすることはなかったので、22万のお金の価値があまりピンときていなかったと思います。 確かに年収22万で、よく東京に来たなーと今考えると怖い😨笑   うちは家賃が2.2万ほどでしたので、それだけでも年間30万はかかりますね笑 なので、うちにあったものは、布団

          わたしについて④  〜年収22万でよく大学に入ったね!?〜

          わたしについて③ 〜東京仕送りなし生活〜

           高校3年の夏のインターハイが終わってから、急いで大学入試の準備を始めましたが、どうしても親には、早稲田に行くとは言えませんでした。 「お金がない」と反対されることを知っていたから。  でも自分の可能性を諦めたくなかったので、親には内緒で願書を提出しました。「親にはいっさい頼らない。仕送りもしてもらわない。」と決断していました。  親にはほぼ合格が決まってから話をしたと思いますが、「良かったね」という反応ではなく、やはりお金の心配をしていました。  私は、高校の成績が良

          わたしについて③ 〜東京仕送りなし生活〜

          わたしについて② 〜早稲田大への進学〜

           先日、投稿した『わたしについて。機能不全家族編①』では、読んだ方から「大変だったね」「大丈夫なの」と私のことを心配しているような声も聞かれました。 もう40年も前の幼少期の話で、今となっては笑い話でして、その経験も乗り越えているので大丈夫です! ありがとうございます😃    今日は、小中高校時代の学校での話を書きたいなと思います。 家での居場所が無かった分、学校では「とにかく家を立て直さなきゃ」「母親を笑顔にしなきゃ」と言う気持ちで、勉強に打ち込んでいました。 それより

          わたしについて② 〜早稲田大への進学〜