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回転運動の魅力とアクロバットについて考えてみた

最近、回転運動そのものに感じる美しさや魅力に対し、まったく言語化できないもどかしさを感じていた。

そこから、確かに地球は自転公転していて、食物連鎖や世の中のシステムも循環していてある意味まわっているし、ミクロな世界では原子のまわりを電子がものすごい速度で回っているよなと思う。もっというと、ひとつの死生観的な観点からも輪廻転生というようにやはり循環的であり廻るという言葉が当てはまる。

廻る、回転…何故それに原始的に魅力を感じたりするのか、、あまりにも思考がその先に向かわなかったので、sddc(主宰しているダブルダッチのクラブ)の講師ラインに次のような文章を流してみた。


○グループラインにて
自分(ヨウ)
質問!最近、どれだけ思考を深めてもストンと落ちない事柄ありまして…みなさんに質問したいと思います。てことで、以下。

空中アクロの刹那的な回転、フロアでの回転運動に魅力をめちゃくちゃ感じるのですが、フィギュアのジャンプにしても、何故回転運動に美しさや気持ち良さを感じるのかの論拠が全く言語化できなくて困っています。(気になると解釈まで持っていかないと気がすまない)

そもそも、地球も自転公転してるし、原子の周りに電子も回ってる。コマという文化も冷静に考えると何が面白いのか分からない。

さらに言うと、世の中の全ての循環的構造も回転に近しいものがある。てことは、そもそも回転や回るということには世の作りの根源事象的なところがあるのかと思うけど、まったく釈然としない。

そこで…

せめて、舞台やパフォーマンス上においての回転運動と回転的動線の意味合いを自分なりに腹に落としたい…ということで、大変お手数ですが、アクロする人と、この話に付き合ってやろうかと思える人、自身の思うことをレスポンスください。


まぁ、こんな半分訳の分からんややこしい質問に誰が答えてくれるのかと思っていた訳ですが、みんなきちんと答えてくれるのです。以下、共有してみたいと思います。


○ゆーせい(知っているアクラーの中で最強)
いくつか考えがあるのですが、その中でも僕独特かなと思う観点から意見を述べてみたいと思います。

中国古代の思想で、陰陽という物があります。

陰陽は天地間にあり、互いに対立し依存し合いながら万物を形成している陰・陽2種の気。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陽と陰の二気によって消長盛衰し、陽と陰の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。

という物なのですが、僕は武術太極拳において、この陰と陽の概念が重要だと教えられてきました。表裏・上下・左右・動静etc…陰陽の概念に基づいて力が生み出されています。

なぜ、回転が美しく感じるのかですが、ヨウさんの仰る通り言語化するのはかなり難しいと思います。僕は、人間は無意識のうちに陰陽の関係を美しい物と感じていると考えています。理由は一言で言ってしまうなら、バランスが良いからだと考えます。

前述の陰陽の概念や、さらに細かく分けたような陰陽五行思想(割愛)など、森羅万象ありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰と陽の二つ(陰陽五行思想ではさらに細かく)のカテゴリに分類し、周期を作ることでバランスが保たれるのでしょう。

アクロなどの回転運動は、人がし得る動作・運動の中でも、この陰陽を顕著に目で見て感じ取れる運動の1つです。人間が無意識に持っている美意識に当てはまり、気持ちの良いものとして受容するのだと考えました。

かなり言葉足りてなくてガバガバかもしれないし、問題に対して的を射ているかどうかすら心配ですが、陰陽の観点で考えてみましたという話でした。


○物理の秀才y先生
極限まで磨いたフォームに魅力を感じるのかなと思いました。回るものではありませんが、より抵抗を少なくスピードを出せる様にと考えられた新幹線はとても魅力的な形をしています。

スキージャンプでも板を並行にした飛び方よりもハの字型の方がかっこよく思います。

アクロにしても体操にしても人間が限られた時間において、回転運動を行うためには身体の使い方を極めていく必要があります。

その極めていく過程で生まれたフォームというも、つまり、ある完成されたフォームに向かっていきその姿に人は魅力を感じるのではないかと思いました。


○こうきち
アクロに関して言えば、ダンスと同様で非日常的な動きというのもあると思います。

『世界で最初にバク宙した奴は何を考えてたのか』って話題はアクラーの間で度々出てくるので…そもそも、人間が縦に回って生存に有利に働くわけはないですし、横でも回りすぎたら三半規管がエラーを起こすので、人間の体は回転するようにはできてないはず。だから、人間ができそうもない動きを見た時に心が躍るのではないかと思っています。バッファの軸の入り具合によって見てる人の気持ちが変わるのがその例だと思います。

回転運動一般については、人間が安定したものを美しいと感じるとしたら、回転の中心が安定している場合に美しいと感じるのかな?と思います。回転体を見てその中心を見つけるのは多分人間にしかできないし、回転の中心に対して対称に見えるのも安定性を感じることに寄与するのかも。


○Bi
ブレイクの回転は簡単な考えでいいと思います
。重心がどこかで取れていないとそもそもダイナミックな動きを長い間出来ない、そこで回転し続け激しさを出せるようにしている。

そこに回転のキャンセル(逆方向に回り出す)、ストップ、軸の変更(トーマスからウィンドみたいな)、高低差(ウィンドからエアー)、加速(1990)等の変化量を加えることで驚きと音へアプローチされてる感度が加わるのかなぁって感じです。あと、このように回転運動は激しい動きを表す際にできる最も簡単な動作のひとつなので、(全然大移動とか、ラビットみたいにそもそも異次元の状態からの動きとか他にもあると思います)存在していない動きで同じ感度を出せる人間の方が僕は尊敬しますね。

結局動きの動線って直線とか、波とか回転とか、そんなにレパートリーないんで回転が無数にある中の特別という訳でなく、数種類のうちの一つを面白くしているだけかと。

根源という話もあったのでそこに関して言うと、森羅万象は基本的に安定を求めます。その場に留まることを安定とするならば、基本的に停止か回転しかありませんよね、そういうことだってだけだと思います。笑

円という概念が生み出す軌跡的な重心移動は、時々脳内で処理できる範疇を超えているものもあると思うので、僕たちにクリエイティブさを与えているのは間違いないので、そういった感動は無意識下で全員あり、神秘的な魅力を感じるってことはあるかなあとは思います。

でもこれはフロアだとパワームーブやスピン系においてすごく正確な重心を捉えてる時にしか感じれないすごい限定されたものです。真に面白いのは重心が崩れたのに、それに従い動き続けられたり、何かしらの力でコントロールした際に起こる奇跡的な起動かもです。円自体も美しいのですが、円を利用した脳の処理範疇を超えた意味のわからない起動も素晴らしいと思います。

円をベースとしてルールを作ってしまうと沢山矛盾が生じるのでできるだけただの動きの1つとして淡白に捉えてるつもりですが多分色々逸脱しています。すみません。


○t
中学の体操部時代に顧問の先生に体操の歴史なり軌跡なりなんとかかんとかを聞かされたことを思い出しました。もう7、8年前のことなので深くは覚えてませんが、、、

先生は「時代が変わるたびに新しい技や難しい技が増える」と言いました。新しい回転の仕方、単純に今までより多い回転など。そこで疑問に思った僕は例の「なぜ人間は回ろうとしたんですか」と言う質問をしたら、「古代人は祭りや儀式などでバク宙などをすることで人々を楽しませていた道化のようなもの。(諸説あり)」話してくれました。

アクロバットをすると「なんだそれ!」となるのは当然ですよね。

なぜ回るに至ったかはやはり不思議ですが少なくとも人を楽しませるパフォーマンス技術だったといえます。

人は非現実的なもの(あり得ないもの)を見ると少しながら興味が湧きます。男は特に。アクロバットが好きな人の中では男の人の方が多い気がします。

男の人は昔狩などををしていたことから衝動的て勇壮でアクティブなものに心が動くのだと考えます。またSFの類も好きだったりします。それらは非現実的で夢のようなものだから。

アクロバットはこの両者の理由を現実に起こせるものだから面白いものなのではないかと僕は考えます。アクロバットはいろんな可能性を秘めていると僕は思います。

回転系の話は、みなさんが言う通りやはり回っているものは魅力的な何かがあるんだと思います。土星のような環(わ)のある惑星のような物体が永遠と回っていたら5秒くらいは目を止まらせると思います。

意味もないけど、直感的に回っているとなんか見惚れてしまうところがあるのだと思います。でないとペン回しやコマ、ヨーヨーは生まれないだろうし、コインを無駄にコマのように回したりなんかしないでしょう。

みなさんも意味もなく地球儀をシャーって回したことがあると思います。(地球儀)

なんでかはわからないし、ヨウさんのいう原子や太陽系、銀河系の関係で理由があるかもしれないし、ゆーせいの陰陽の話もすごく納得です。

そう考えると幾つかの理由があって回転していることは人間にとってどこか欠かせないものなんじゃないでしょうか。たくさんの返答があるようにそれぞれの解釈次第でアクロバットの魅力が変わると思います。


○ヨウ
回転運動の魅力についてのレスポンスありがとうございました!皆さんがしっかり答えてくれたこと、やっぱり自分の周りには面白い人がたくさんいて、深い思考ができる人に囲まれているんだなと…人に恵まれていることを実感しました。みんな、いつもありがとう。

そして、それぞれの解釈を聞いて、合理性、非現実性、視覚美、躍動感、バランス、対称性、その他様々な複合的な要素により、その人の感度を通して、美しさや人の可能性にエネルギーを貰ったりするんだろうなということを思いました。

逆に言えば…

万人に良さを感じさせるものってのは、それだけ良さにレンジがあるってことで、そりゃ複合的で解釈を一元的に行うことは不可能だなって。ある意味当たり前に近い、単純なことに気付きました。解釈が単一的かつ容易なものは飽きるしつまらないに近いということだね。

さらに言えば、意識の世界で全てをまとめることはある種つまらんことで、理由が明示されないけど夢中になってしまうものってのが、その人にとって1番価値の高いものであるし、そこから面白いものや、人を突き動かすものが生まれるんだろうなと。

みなさんに解釈を聞いたのに、自分的な結論は、解釈すべきではないとなりました。笑 ただ、この議論は不毛ではなく、今後の自分の指導や人生の指標となりそうです。

また土曜日の夜や発表会後、たくさん話しましょう!


ふむ。

自分は本当に周りに恵まれている。しっかり考えることができ、こんな質問に答えてくれる人がたくさんいる。本当に楽しいし、充実する。一定以上の深い思考や視野は、人にある種の充実感を与える。ありがたい。

てか、これを書きながらですが、いわゆるグルーブや波も極めて直線とは対極的で曲線に近い。商業的なものは直前だらけだけど、自然界はほぼ曲線やでこぼこで成立している。てこと…これ以上はやめときます。笑

さて、ダブルダッチシーンの皆さん。島本にはこんな人たちがたくさんいます。笑 興味ある人は土曜日の夜、島本に来てください。語りましょう。笑

また、アクロバット頑張りたいこれからのwestシーンを担うみなさん!

希望されるなら練習会開きますので、ぜひこの記事へのコメントかインスタのDMください。ここにいる深い(笑)メンバーとその他にも声をかけます。繋がり作って良いシーン作りましょう!

たぶん自分の役割は人と人を繋げるフェーズにきています。その感覚から、この提案です。本当の意味で楽しいダブルダッチシーンを一緒につくりましょー!!

#島本町
#ダブルダッチ

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