「どれみちゃん」が好きになれなかった理由。

 セーラームーンで幼少期を過ごした私は当然のことのように困難に立ち向かう女の子の物語が大好きになった。大好きなまま大人になった。今でもありとあらゆる「彼女たち」が大好きだ。到底敵いそうにない敵にも挑み続ける姿に、私が現実世界でどれほど憧れたってなれやしない「魔法少女」やら「戦闘少女」として戦う彼女たちに、何度惜しみない拍手を送ってきただろう。どんなに好きじゃなかった明るいキャラクターでも、憎まれ役のキャラクターでも、平等に愛してしまう。
 そんな私が唯一、引っかかったままの言葉を毎回披露していたキャラクターが、『おジャ魔女どれみ』の「どれみちゃん」だ。

 彼女は事あるごとに
「私は世界で一番不幸な美少女だ〜!!」
と嘆くキャラクターだ。私は子供ながら、その言葉にいつもいつもモヤモヤとしていた。
 どれみちゃんはお世辞にも世界一の美少女でもなければ、世界一不幸というほどの不幸な目には遭っていないように思えたからだ。詳しいエピソードなどはもう忘れてしまったが、いつだって「いやいや自分のせいで起こった事件じゃん」とツッコミを入れていた気がする。
 私はどちらかと言えばおんぷちゃん派だった。彼女の、手段を選ばない姿勢にいつだって胸を打たれていた。それが間違っている手段だと知っていても、それでも自分の信念を曲げないおんぷちゃんに憧れた。その気持ちはよりどれみちゃんに対しての反感を覚えていたのだと思う。

 どうしてあの頃の「私」が「どれみちゃん」へ憎しみにも近い反感を言葉にも表せないままモヤモヤしていたのか。そのことを熱に魘されながら考えていた。数日間の酷い発熱の中、思い浮かんだのは「嫉妬」だった。
 「私」は「どれみちゃん」に「嫉妬」していたのだ。

 どうしてだろう? どれみちゃんが何をしたというのだろう?
 思い至ったのは、「私」は既に「理不尽な世の中」と「思い通りにならない世界」と対面していたからだ、ということだった。
 私の家庭はまさにそんな世界だった。
 きっと世界一の美少女には到底なれやしなくても、世界一不幸な女の子と嘆いたって良かったはずなのだ。

 でもそれも許される環境ではなかった。

 容姿はいつだって母によって貶された。「お前はブサイクだ」「誰に似たの」「どうして私の娘のくせに」数々の呪詛で私はまるで自分の容姿を真っ直ぐに向け入れることができなくなっていた。
 世界一不幸なのは私ではなく、母だった。母が世界の中心で、自分は誰からも労われず、誰よりも不幸で、誰にも理解などされない、と小学生の私に公言していた母。今から思えば異常な事態だという客観的な意見を抱けるが、あの頃の私には受け止めるしか手段がなかった。「お母さんが何でも一番。お母さんが一番綺麗で、お母さんが一番可哀想で、そうさせているのは、自分」。

 だからこそ、どれみちゃんが憎らしかった。羨ましかった。あんな風に「自分は世界一不幸な美少女」だと言い張れるのは、彼女以外には母しかいなかったからだ。どれみちゃんのその言葉は、まるっきり母の言葉だったのだ。

 きっと人間は誰もが自分が一番可愛い生き物だ。自分のやりたいこと以外は本当はやりたくないし、自分の好きなものだけに囲まれて生きたいし、自分を肯定してくれるものだけ側に置いておきたい。でも現実はそれをさせてはくれない。やりたくないことは山積みだし、嫌いなものばかりに囲まれることだって多いし、自分をこれでもかと否定してくるものばかりだ。それでも息をし続けて行かなければいけない私たちは、人に迷惑をかけない範囲できっと「どれみちゃん」になってもいいのだ。「自分は今世界一不幸だー!」と枕に向かって叫んだっていいのだ。
 高熱の中、纏まらない思考で私は今、世界一不幸なのかもしれない、と考えて、それをすぐさま打ち消してしまったが、今こそ言おう。

 私は、今、世界で一番、不幸だ。

 実家はクソだ。夫の実家もクソだ。夫は成長したものの三十代半ば過ぎながら未だに小学生男子みたいなものだ。子供は言うことを聞いてくれない生意気盛りだ。愛する子供と離れて暮らす苦しみも背負っている。中途半端な発達障害と精神病と育児のせいで仕事もままならない。友達も離れて暮らしている。既婚の友達も少ない。子持ちの友達もほぼいない。周りに知人もいない。精神不良と共に体調も最高潮に最低だ。連日三十八度を前後し、咳は一ヶ月止まらない。大嫌いな錠剤を何錠も飲み込まなければならない。アトピー体質で鼻も皮膚も痒くてコンディションは最悪だ。そろそろ花粉とも向き合わなければならない。書きたい物語に限って書ける状態になってくれない。のに書きたい物語ばかりが増えていく。体が幾つあっても足りない。足りないんだよ!!

 でも、きっと、これが、幸福の入口なのだとも、思う。
 私は今、幸福になる為の、手前に、いる。

 今までの苦しみがあったから、不幸だったから、ささやかな幸せを感じ取れる。チョコミントのアイスを美味しく感じるようになったらドハマリしてしまうのと同じように。最低最悪な家庭で過ごし、成長してきた私は、「なんだ、そんなこと。どうにかなるよ」と言える力も持っている。勿論それは心身ともに健やかな時に限るけれど。
 未だにフラッシュバックは起きる。思い出す。先日は初めて痛みを伴うフラッシュバックを味わい、久しぶりの動悸とパニックに泣いた。三十歳を前にして、未だに「母親像」に悩み続け、それと同時に「自分像」にも悩んでいる。私は、一体、どうなりたいんだろう。それはもう一生の課題なのかもしれない。だって、言われるがままに、不幸を不幸とも思いもせず、感覚が麻痺したまま、死んだように生きてきた女の子が、子を持ち、責任を負い、徐々に「人間」になれたのだから。私は年こそ二十九だけど、きっと人間歴で言えばまだ七年とか八年くらい。
 温かいご飯が美味しい。熱いお風呂が気持ちいい。暖かい布団が優しい。それが、幸福。

 今なら少しだけ、「どれみちゃん」を好きになってもいいかな、と思える。だって、彼女はそうやって自分の気持ちを名言できる、行動力のある凄い女の子だったのだから。

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