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ACT.89『夢を訪ねて』

苫小牧名物?

 苫小牧駅からも近い、苫小牧科学センター。
 この苫小牧科学センター付近には、もう1つの名物がある。こちらの方が有名なのだろうけど。
 それが、地図内でも『ミール展示館』として案内されている施設だ。太陽光パネルによる出迎えを受けて、中を知る為に入ってみよう。
 しかもこの『ミール展示館』。なんと無料で入場できるらしい。休館日を除外して、いつでも手軽に入る事が出来るようだ。

突然、海外へ

 皆さんはソ連…旧ソビエト連邦といえば。そしてロシアといえば何が浮かぶだろうか。
 ボルシチを中心としたロシア料理?ボリショイ劇場、ワガノワバレエスクールに始まるバレエ?どこまでも続く雪国?センシティブな話題になるかもしれないがこの辺りで閉じよう
 しかし、何を隠そうソ連の遺した大きな功績は『人類初の宇宙飛行を達成した』事である。
 昭和36年、ソ連の少佐であったユーリイ・ガガーリンによるボストーク1号での108分の宇宙飛行。
 その中で彼は
「地球は青かった」
との名言も残し、人類の宇宙旅行や宇宙飛行への夢の期待を見せた事は周知の事実である。
 さて、そうした宇宙開発を経てソ連・アメリカは冷戦間で宇宙への技術の鎬を削っていく事になる。
 そうして誕生したのが、昭和61年に打ち上げられた長期滞在宇宙ステーション、『ミール』である。
 このミールの予備機を苫小牧市では保存しているのだ。しかも撮影は自由というのだから驚きである。
 ミールを飾る言葉は全てロシア語で記されており、見慣れない言語たちが連なっている。突然、入口から入ると異国に案内されたような気分にさせられるのであった。

 この苫小牧科学センターにて保存されている宇宙ステーション、『ミール』は「予備機』として製造されたもので、実際に宇宙に打ち上げられた訳ではない。
 しかしそれでも、立派な作りで実際に見ると圧倒され、かつ
「こんな巨大なモノを人類は作り上げて宇宙に飛ぼうとしていたのか」
なんて思わさせられる。本当に不思議な乗り物だ。
 最終的には設置されたドッキングで次々に拡張し、宇宙への居住空間を広げて宇宙の軌道に乗っていたようだ。
 シンプルな説明書きで分かりやすい。
 しかしながら天体・宇宙に関してはサッパリだったので説明を見てそれぞれの展示物について知るしか術は残されていなかった。
 でっかいなぁ…に始まり、圧倒させる破壊力。人類の叡智の最終形態のようにして横たわる機械は、発射台に乗っかって本当に宇宙に向かう為の点検をしているように見えた。

 横にはこうした説明書きも。
 アメリカとソ連というのは、宇宙開発に於いて全く接点がないのかと思いきやこうした写真の発掘がある辺り何処かで接点を持っていたかもしれない。
 まさかあのスペースシャトルとドッキングしていたなんて。
 実際にこうした写真やミールに関して。そして宇宙に関しての質問には、専門のガイドと思しき方が実際にミール近辺に滞在して案内してくれる。
 未知の巨大なマシンに関して、案内人の力を借りつつ
「はっへぇ、これはこうなんだぁ…」
と考えていた。完全に観光客気分になって浸っていた。寝ていて予定を忘れたのか、自分。起きろ、脳。

 ところで、この『ミール』という宇宙ステーションはどのような由来が込められているか、皆さんはご存知だろうか。
 『ミール』というのはロシアの言葉で『世界』または『平和』を表す言葉である。この国旗を背にしてロシアという単語は出すべきではないかもだが
 ソ連は昭和61年に『ミール』のコアモジュールを宇宙に打ち上げた。最終的には数回のドッキングを経る事になったのだが、その最終的な完成は平成8年の頃であった。
 最終的には長さ33メートルの巨大な建造物となり、宇宙では随一の大きさを誇ったのだ。
 この『ミール』には、宇宙でのあらゆる実験の使命を託していた。科学実験、人体実験など行われた実験は数知れずである。
 『ミール』には平成2年に日本人宇宙飛行士、秋山豊寛氏が乗船しておりソビエト崩壊後もなお宇宙に滞在し、ロシアだけではなく多くの国の宇宙飛行士を出迎えたのであった。
 『ミール』の船内では時々事故や火災が発生していたが、幸いにも死傷者はゼロ。しかし長期的な宇宙滞在によって『ミール』も老朽化・劣化が進行しており事故を経ても運用は継続された。

 『ミール』はソ連期から宇宙に滞在を続け、以降はソ連崩壊後も宇宙に残り続けていた。
 しかし平成10年に国際宇宙ステーションのコアモジュールが打ち上げられると、宇宙ステーション・宇宙実験に関しての拠点・注目は『ISS』へと転換された。
 『ミール』はあらゆる手や策で維持・整備がなされ無人でも飛行を継続していたものの平成12年。老朽化と財政難により廃棄が決定した。
 翌平成13年の春に『ミール』は強制指令で落下する。着陸したのは南太平洋のニュージーランド東方であった。運用から15年。その生涯は設計寿命を5年もオーバーしていた。
 改めてになるが、この『ミール』は予備機として活躍をしたため宇宙へ実際に飛んだり、南太平洋に実際に落下した機体ではない。そこだけはどうか…

希望そのままに〜タイムカプセルのような〜

 苫小牧市の市制50周年を祝し、建設会社から寄贈を受けた宇宙ステーション『ミール』。ミール展示館に関しては平成11年に開館し多くの人を今なお寄せる観光地や学びの場所になっている。
 そうした巨大な宇宙ステーション、『ミール』。改めて眺めると、しつこいくらい感想が止まらない『デカい』以外にも
「まさかソ連の国旗そのままなんて思わへんわなぁ」
という感嘆驚愕の言葉が自分を動かした。
 ちなみに(記さなくても良いですが)ソ連崩壊は平成3年12月。読者の方も、年齢によってはこの時の大きな出来事を記憶されている方もいるのではないだろうか。
 ゴルバチョフ大統領による辞任。そしてそれ以降、ソ連共産圏の国々は独立し、新たな『ロシア連邦』が成立し現在を迎えている。

 自分にとってはこのソ連の象徴である『斧と釜』がそのままの衝撃。
 展示とはいえ。ソ連崩壊前から宇宙に漂っていたからといって。このソ連そのままの状態での維持にはただただの感動をさせられた。
 今の我々は(平成10年以降生まれとして)ロシアといえばあの3色の国旗しか浮かばないが、スターリンによる独裁。その基礎に大正6年のロシア革命があり、かつレーニンによる国の建設があったと思うと、この記しの中には歴史が刻まれているのだなと思わされる。
 昔の人々は、この国旗と一緒にロシアを『ソビエト』・『ソ連』と呼称した確かなる証拠が宇宙の希望と共に刻まれていた。

一歩立ち入れば…

 苫小牧科学センターの中でその姿を横たえる宇宙ステーション、『ミール』。
 その『ミール』の中にも立ち入る事が可能であり、しかも撮影も自由である。この計らいには当然ながら驚いた。
 もちろん、計器類やスイッチなどに関しては保存・維持の為にアクリルパネルが覆われ、触る事や操作する事は不可能だがそれでも、『宇宙に行く乗り物』としてその内部を観察できるのは大きな計らいである。
 さながら、漫画や小説に描かれる未知の機械…先進的な時代を歩む機器のようであった。
 しかし感じるのは、何だろうか。
 年代を感じさせつつも、その中には『宇宙という人類の高みを目指して向かう』という確かな希望が見える事である。
 昔の宇宙飛行士たちは、ロケットや人工衛星と共に飛ぶこの乗り物の中に入った時。地球を離れる希望や大きな不安を感じたのだろうか。

 『ミール』のスイッチ類。
 当然、ソビエトが打ち上げたモノなので全て表記はロシア語で記されている。よほど学習してロシア語が頭にスラスラ入っている人でない限り、読めないのではないだろうか…
 飛行機とはまた異なった、宇宙へ旅立つ為の乗り物の操作パネル。ソビエトのかけた宇宙への情熱を感じたのであった。
 実は、この写真たちは自分1人で撮影している。
 ガイドさんに何でも聞いてください!!のコーナーがあったのだが、そうした場でもっと細かくきいてから撮影に臨めばもっと変わった見方でこの室内を観察できたのではないだろうか…など今更拙い思いを掲げる。

 宇宙ステーション『ミール』の操縦席にしてドッキングポート。
 この場所から僅かな目標を頼りにしてドッキングの狙いを定め、ミールは他の宇宙ステーションと合体していく。
 このドッキングに関しても、並の技術がなければ出来ないという非常に高度なものだと聞いたのだがもう少し話を吸収しておいて、この乗り物に関して知っておけば良かったと今更の後悔である。
 ちなみにこの場所はアクリル越しに撮影したものだ。
 アクリル板が仕切っているより先は進めず、実際に撮影は可能なものの接近・触れる…というものではないのだがそれでも。実際に宇宙へ飛び立つ為の準備をしていた機械…乗り物というのは生涯そう何回も出会える訳ではない。
 ソビエトに関して。そして宇宙に関してもう少し理解をしておけば良かったとこれまた頭を抱えてしまう。
 あぁ、そんな事書いてたらまた『ミール』に会いたくなってってきたぞ。

 『ミール』から除いたC11形蒸気機関車。
 僅かながらではあるが、煙よけ(デフレクタ)が見えているのがわかるだろうか。
 C11形側からは一緒に合わせた写真は撮影できないものの、『ミール』からは少しだけその姿が確認できる。機会があれば、こうした1枚も記念に撮影してみてはどうだろうか。追記。大きさの参考にもどうぞ…(いや狭さか

懐かしさを味わう場所

 『ミール』はあまりにも巨大すぎて…というのだろうか。場所をかなり取っている印象を感じる。
 実際にこの場所から撮影してみると、『ミール』の抱える巨大さ。そして格納庫としての威力を発揮しているだけのように自分のいる『ミール展示館』が感じられ、建物の方が逆に
『ミールを閉じ込め風雨から守る為の倉庫』
として稼働しているような気持ちにもさせられる。
 先ほどまでは『ミール』を下から。歩いて観察したが、こうして見下ろすと『ミール』が実際に『宇宙に旅立った乗り物』という印象を改めて認識させられる。
 いつも宇宙空間で見るアングルのせいか、ようやくこの時点にしてサイズ感、認識などが追いつくのであった。
 しかしこうして俯瞰してもデカい。
 人類はこんなものを作って地球から宇宙に飛ばしていたのか。

 苫小牧市科学センターでは、こうした『ミール』の展示以外にも『科学館』として体験型の展示を多く扱っていた。
 しかしそうした品々、展示に関しては残念ながら時間に合わず…というのだろうか。あまり撮影していないのが後悔であった。宇宙食や天体の写真を展示したり。古い望遠鏡もあったりと宇宙に関する展示が多かったのだがそうしたものに関しては
「ほ、他でも見てるし…」
という後手後手な気持ちが濃かったのか、撮影していなかった。
 ちなみに。科学センターの中には、『科学に関する書籍』を纏めたコーナーがあった。
 その中には自分が小学生時代に愛読した科学漫画、、韓国の『サバイバルシリーズ』も収蔵されていた。
「懐かしっ!!!」
と小声ながら出るリアクション。
 1巻・2巻を購入して小学生の時期。確か3年生から4年生くらいだったと思う。内臓が壊れるかと思ったくらいに爆笑した記憶が残っており、当時は塾にも通っていたのでアルバイトで講師を務める大学生に
「韓国の漫画なんですよ、これ。友人の方に韓国からの留学生います?」
と質問し、セリフを逆訳してもらって読んだのも良い思い出だ。あまりにも懐かしすぎた。
 どちらかといえば、その展示コーナーの印象が濃すぎて『ミール』の撮影と漫画の熟読以外は何もしていなかったのが実情…。

 科学センターを発つ事にした。
 駅に戻る際にカメラを向けた、道南バスである。この車両は全国的にその姿を確認する通常の『いすゞ』製の車両だろうか。
 そして、苫小牧駅に戻り懐かしさの余韻に浸る中であるものを見つけ、撮影した。
 それは次回に。(油断してたら100回行きそうだな)

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