降りることができなかった駅


その時はまだ引き返すチャンスはあった。
元通りの仕事、生活に戻る最後のタイミングだったかもしれない。
地下鉄は普通に停まった、自分が下りるべき駅に。
多くの人が無表情に乗り降りする。
心臓の音が耳元でドクンドクンと鳴っている。
発車を告げるベルの音が聞こえるが、立ち上がることはできない。
ドクンドクンという心臓の音を聞きながら椅子に座り直した。
深く息を吐いて軽く目を閉じる。
脳裏には絶望という塊がぎっしり詰まっていた。

転職が決まって俺は有頂天になった。
自分でいうのもなんだが「超」が付く一流企業に転職できたのだ。
大学入試失敗の劣等感もこれで払拭できる。
定年まで無事に勤め上げさえすれば、幸せな人生の一丁上がりだと本気で信じていた。
「俺の人生の双六は綺麗な形で上がれる」

入社して2,3日はまさに夢を見ているようだった。
思い描いていた「一流企業」がそこにはあり、俺はそこの社員だった。
間違いなく社員だったのだ。

1週間も経たぬうちに夢から醒めた。
一流企業の社員である俺は膨大な業務の渦に投げ込まれた。
すぐに帰りは終電になり、終電を逃したときはタクシーで帰宅した。
でもそれが一流企業なのだろうと半ば自分を納得させ
中途採用の自分の位置を確立するために仕事に没頭した。
「俺は絶対にここに残る。残るために何かを残さなくては」

そのうちに睡眠のリズムがおかしくなった。
1時過ぎに床に就くのだが、ぐっしょりと寝汗をかいて2時か3時には目が覚めてしまう。
仕事に支障をきたしたくないので無理に寝ようと目をつぶるが寝れない。
寝汗をかきながら布団の中でもがくようになった。


ついに無理に寝ることを放棄した。
2時過ぎに起きてパソコンのスイッチを入れる。
何をするわけでもなくただネットサーフィンを延々と続ける。
そして頭に霧がかかった状態で会社に向かうのだ。

今から20年以上も前のこと。
鬱病などという言葉は一般的ではなかった。
会社での経歴に傷をつけるわけにはいかない。
歯を食いしばって仕事をした。
もう限界はとっくに超えていたのだろう。
「一流企業に勤める俺」を続けるためだけに泣きながら通勤した。
正確にいうならば泣いていたのは心の中だけだ。

少し冷静な時に職場環境を冷静に見た。
ほとんどの男性社員の目は死んでいた。
俺もその中に居たわけだ。

このままでは自分が壊れる。
ようやく自分の置かれている状況が見え始めた。
毎日の終電帰り、夜中2時に終わる会議。
どれも異常だ。
いくら一流企業だとは言っても異常だ。

昼は客先からの途切れることのない電話に対応し夜は書類をまとめる。
休日出勤もした。
誰も助けてはくれない。
助けてくれる余裕がある人間は周りには皆無だった。

ある日勇気を振り絞って課長に相談をした。
自分の今の状況、このままでは自分がつぶれてしまうこと。
課長からの答えは
「申し訳ない。だが、今は頑張ってくれとしか言えない」だった。

俺の心はポキリと折れた。
それから冒頭のように電車から降りられなくなった。

当時、私は始発駅から電車に乗り座って通勤することができた

降りるべき駅で降りられなくなった時から完全に壊れてしまった。

始点を終点を何度も往復する日々。
会社には連絡も入れていない。
無断欠勤だ。

始めて電車から降りられなくなった日、俺は本当に壊れていたのだろうか。
あの日、勇気をだして駅で電車を降りていたら。
いつも通り会社に出勤していたら。
今も「一流企業」に勤めている俺だったのか。

そんな生活を1週間ほど続けてから俺は心療内科を受診した。
診断は「鬱病」
あの日、電車を降りなかった選択をしようがしまいが
結末は同じだったのかもしれない。

あれから20年以上の時は過ぎた。
俺の「病気」は完治していない。
病名は変わったが
「双極性障害」

あの日、電車を降りないという選択は俺の病気を
さらに進行させてしまったのか。
それともあの選択は自分への許しであり
ある意味人生に対するギブアップだったのかもしれない。


あの選択をしたからといってその後の人生は変わらなかったかもしれない。
ただ、自分を諦めたことは事実だ。

今は平凡以下の人生を送った平凡以下の定年のひとりの男。
記憶は薄れているが
今でもあの駅の駅員の声、発車を知らせる音が耳に残っている。
病気の完治を諦めた今、あの時の音だけが風化することなく頭の中に残っているのだ。

あの選択が、俺の「一流の人生」を台無しにしたのだろう。

#あの選択をしたから

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