映像は強い!映像をイメージさせる言葉を!
プレバトの俳句コーナーが好きで、夏井いつき先生は憧れの存在だ。まず添削のポイントがスゴイ。平々凡々な駄作(失礼)を、良くああも読める句に仕立て上げられるものだと感嘆する。
先生がよく口にされる「光景がある」という言葉にも深く納得する。
そう、「光景」。脳内に見てきたように景色や行動、様子が広がる…そういう映像を伴っていることは大切だ。俳句でも、シナリオでも、小説でも、歌詞でも。
例えば、杉山愛さんの句ではすっと立ち尽くしているかのような水芭蕉が、梅沢名人の銀盤の弧という言葉には、しんしんと冷え込む夜のスケートリンクが柔らかに夜明けの月に照らされている様子が浮かんでくる。
これが映像の強さだ。
短い言葉の中にも、映像がすっと浮かんできて、そこに物語があることを思い知らせてくれる…それは歌詞も。
映像と物語を想像させてくれる歌詞の書き手は、ダントツ松本隆さんとユーミンではないかと思う。
「さらばシベリア鉄道」なんて、今歌詞を思い返すと、脳裏に、ただ雪だけが舞い散るロシアの冬の光景がまざまざと浮かぶ。
そういえば、バックパック担いでヨーロッパを旅していたころ、「おお、猛者」と感嘆されるのはシベリア鉄道経由の旅人たちだった。(そんな過去も、この歌詞で蘇ってくる)
何たって、ものすごく時間がかかる。あの広い広いロシアの大地をひたすら鉄道で走り続けるのだから。乗りっぱなしで1週間。しかも、新幹線とかじゃないよ。オリエント急行みたいなゴージャスな列車でもない。ネットも何もない時代、貧乏な旅人たちが、ただただ変化のない雪の平原を見ながら1週間を過ごす。ガタガタと揺れ続ける、古びた列車の中で。ハードな旅だ。
そんなシベリア鉄道で旅立ったのが女性だって事に、まずしびれる。彼女は、心を明かさない冷たい恋人を、ロシアの荒涼たる白い大地に例えている。
そして彼女からの手紙を見る男の目には、ごくごく小さなロシアの消印がついている。ここで、遠い遠い、雪原の果てにいる恋人との距離を男は実感する…
松本隆さんの詞には、いつも映像が、物語が、いわば一本の映画が見える。
ユーミンの歌詞も同様だ。
ラグビー選手の最後の試合。ゴールを決めることが出来ず、がっかりした彼の後ろ姿、そして、土を払って、最後の試合場の空気を吸い込む…
その光景を描くだけで聞いた人には伝わる。どれだけ多くの言葉を費やして「彼のことをどれだけ好きか」「どれだけ応援してきたか」を説明するよりも。
やたらと「君が好きだ」「愛してる」「命をかける」「一生愛し続ける」云々かんぬん叫ぶ歌があるけれど、これらの言葉だけでは光景が浮かばない。物語を感じない。つまり、どれだけ好きなのか、言葉で「説明」しましたよ、ってことなのだ。なんとまあ、つまらない事よ。
「説明」は「ドラマ(劇)」を壊す。
物語を書く人間は是非覚えておいた方が良い。説明より、光景を、だ。
光景を伴わない言葉が無駄に使われることを夏井先生はいつも戒めていらっしゃる。ありきたりで陳腐な「凡」な言葉は、大抵「説明」なのだ。
俳句や歌詞だけではない。
小説も同じ。作者の紡いだ言葉がどれだけの光景、映像を伴っているのか。
そして、その光景は、読んだ人の脳内でどんな風に再生されるのか。
響かない言葉を100万語書くより、読者の頭にどんな光景、映像を浮かび上がらせるか、それを考える方が良い。
物語の善し悪しは言葉数の多さではない。
光景が、映像が見える物語を目指そう!
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