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お金と多様性についての考えごと【読書記録】

雑記。

今まで国家などの大きい単位から履き替えないと変わりようが無いと感じていた社会の性質に対して、もっと他の切り口もあるのかもという前向きな気持ちが持てるようになった。

それは、自分が密かにモヤモヤしていた部分で同じくモヤモヤしている人がいるのだという安心だったり。大きい単位で変化が起きなかったとしても私個人の小さな人生はもっと他の何かで満たせるのではという希望だったり。現行の経済・資本主義ベースに築かれた既存の社会はそのままでも別の選択肢が両立できるものなのかもという新しさだったり。

社会課題の本質=『選択肢が無い』

「選択肢」に関する議論は真新しくはないと思うけど、この本が特徴的なのは「お金の選択肢」の話であること。

資本主義や社会主義のような社会の形態(?)の切り口ではバリエーションが思い浮かぶが、お金そのものの多様性/選択肢は考えたことがなかった。既存のポイント制度なんかも当てはまるのかもしれないが、それは役割が現行の通貨と変わらないと思う。EUMOは土台の発想から新しい。

「ブラックに稼いだ1万円も、一生懸命働いてやっと稼いだ1万円も、同じ1万円として扱われてしまう。」重みが違うことはみんな感じていると思うけど「1万円」のほうをどうにかしようと考えるのがすごい。できると思うことも、実現してしまうとこも。

お金で解決する領域の拡大

お金が人間関係に介在して関係性を希薄にしていたりする。例えば田舎の人間関係のような、面倒臭いけど共助関係として機能している部分を、課金可能なサービスとして切り離してしまったり。

私は日頃モヤモヤしているものをザックリひとまとめにして「アーティフィシャル」と呼んでいるのだけど、その一つがこれだと思う。利便性や効率の代償として、システマチックで関係性が希薄な社会が出来上がっているように感じる。

核家族化、少子化、高齢化、などなどを踏まえて、シニア世代や子供のケアがある程度地域の関係性のなかで補完し合えたほうがメリット多くない?と思う。社会コストが下がる。孤立化しない。「非アーティフィシャル」な生のリアリティ。『うしろめたさの人類学』とも通ずる部分がある。経済や資本主義にバックボーンを持つ、自分の嫌いな部分の”社会”。

生きるリアリティ

なんのために毎日働いているのか考えると、大体が「将来のため」だったりする。キャリアも貯金も、足を止めると社会のベルトコンベアから弾き出されるから将来的に自分が困る。

でも、今この瞬間の自由はどこにいってしまったのか。会社には前述した「アーティフィシャル」なものしか無い。生きている感じがしない。生活費を労働でサブスクしている日々。(アーティフィシャル、要定義・・。)

コミュニティ内貯金

不安を解消する仕組みとして、コミュニティ内でお金が必要な時に必要なだけ手に入れば不安にならないし、個人のレベルでの貯金が目的化されないのでは、という見解。

要はベーシックインカム的な発想だけど、それをもっと小さい単位でもできるのかもしれない。確かに、なぜ社会が悪循環から抜け出せないのかを考えると、すべての根源は「不安」にある。

作り手の復権

出版のミシマ社を思い浮かべていた。ミシマ社の場合は作り手というよりは血の通った本を作ることを頑張っているわけだけど、コストをかければかけるほど損をする仕組みの社会のなかで、生活者に届く(選ばれる)生産者であろうとしている。


お金の問題メモ

貯金可能であること
・手段であったはずのお金が目的と化している。
・お金循環目的の無駄なモノづくり。
・個人単位での貯金の目的化=共助の精神が生まれない。

一様であること
・均一=効率的。
・効率のために人や商品も多様性や固有性が切り捨てられる。
・「一様化できるほうが優秀」という歪んだロジックが生まれる。
・金額の大小の比較しかできない。色も形も一緒。

人間の使い方
・物々交換の介在には便利。

ソリューションメモ

・多様性
・不安を解消する仕組み
・人のつながりを作る手段としてのお金
・作り手の復権




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