【日記】推し活をやめた
(書きかけの段階ですが、公開しています
後で加筆修正していきます)
①きっかけはティンダー
何に対しても無気力で
カジュアルな恋愛みたいなのももう限界を感じていたし
利己的な人間は疲れるし、
その中に自分も含まれるけれども
好きという中に若干交わる嫌悪を上手く消化出来なかった。
違和感があった。
一旦現実逃避したり、
全部捨てて一からやってみるみたいな
他人にとっては無駄なようにみえることをする必要があったと私自身は思ってた
なにかに夢中になりたかった
推しの子のアイのセリフで言うところの
「私は愛する対象が欲しかった」
今になって思えば、精神的限界だったのかな
いつだって結果は後になってみないと分からない。
②違和感の正体
私にとって推しという存在は、かつてはペットの概念に近かったと思う
裏切りという概念がない
(私は熱愛とか仕事以外のその人がどうであってもいいので)
しかし、ジャニーズの問題などから
元々あったグレーゾーンが可視化されたことにより
ペットやアニメのような裏切りの概念がなく、
また昨今の切り抜き動画やTikTokのような流動し消費する定義に当てはめるのに
限界がある
彼らも人間だということを
皆、忘れている。というか見て見ぬふりをしている。
それを今回のジャニーズの問題から今一度考え直し
もうむやみに人を推すのをやめた
はじめは、恋愛の感覚と似ていた。
よく知らない頃(思春期など)はすぐ好きになっていたけど、
もう段々ある程度出会いと別れを繰り返していくにつれ
気にはなるけど好きまで行かないとか
付き合わないとかそういう感じになっていった。
これが大人になると付き合おうという言葉が無くなるということの正体だと思う。
アメリカだと実際、若者の恋愛はこれがスタンダードとなっている。
フックアップカルチャーというらしい。(Kemioさんの動画参照)
私もこの考えに近いし、岡田斗司夫のYouTubeを見ている視聴者層は
フックアップカルチャーという言葉こそなくとも
同じような価値観だと感じた。
そのような時代で、
推しと自分の愛し方、人との関わり方を今一度考える機会となった。
…
今日はこの辺で
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?