考えを散らばらせる抽象化とイエス・ノークエスチョン

考えを散らばらせる原因に抽象化があって、その対策としてイエス・ノークエスチョンが使えるかなと思いました。

「A→Bを主張したい!」と考えていたのに気づくと「A→C。うん、まあそうだよね」となっていることがあります。CはたいていBよりぼんやりした概念(抽象化された概念)で、Cを持ち出すとBは当たり前になります。

例えば「ある動物はなぜ生まれた/死んだか」を考えていると「生物は生まれる/死ぬもの」に行き当たります。元は定義が正しい前提でその具体例を考えていたはずですが、気づけば前提に遡っています。もちろん定義自体の真偽を考えることも有益だと思いますが、元の疑問でさえ悩む状態でさらに広大な疑問に飛び込むとたいがい迷子のまま終わります。

迷子対策(考えの散らばり対策)はいくつかあると思うのですが、イエス・ノークエスチョンがそのひとつかなと思いました。ある主張について途中で何が思い浮かぼうと、まずはその主張の真/偽/不明を主張してしまう。途中で気になることがあればそれはそれで考える。そうすれば少なくともひとつは自分の疑問に応えられるのかなと思います。

イエス・ノークエスチョンを使うことは考えをある平面領域で切り抜くこと(軸と範囲を決めてしまうこと)に近いのかなと思います。何かを考えているとき、思考は右往左往したり上下したりします(抽象・具体や前提・仮定を行き来します)。考えるという行為は右往左往や上下そのものですが、なにかの結論を得たいときもあります。そのときは思考をある領域、最初の前提と最後の結論、途中の前提と途中の結論で切り出してしまうのもありかなと思いました。

J   ┌→G→…
↑  ┌→C
I←A→B→D→E→H→…
  …←F←┘
Aからはじめた思考が上記のように広がったとき、
・最初に仮定した結論Eがある:A→Eだけ切り抜く
・最初に仮定した結論Eがある:A→Eの真/偽/不明だけ切り抜く
・特に結論はない:好きな範囲でA→C、B→E、A→I……を切り抜く
などなど

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