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現在地

【現在地】




汚い履き慣れたスニーカーとパジャマで
朝の散歩をしながら
カメラをもつ
自分なりの朝を撮っていく

私は足元の写真が好きだ

今ここ

という感じがいつだってするから


今の現在地を知ることが以前はとても怖かった

「知らないこと」への劣等感

「これからのこと」に対する不安

しかなかったから

それでも自分の中から自分を動かす「何か」に

動かずにはいられなかった

それがたとえ立ち止まっているしか見えないような速度でも


そう 私たちは必ず動いている

一見立ち止まっていたようにしか思えない日々も

自分の中で渦のようなうねりを上げて実際はエネルギーが動いていた

「準備していただけ」

そう。必ず「何か」を選択してきていた。動いてきていた。

動かないことという選択も動かないということを選ぶという動きだったのだ

私たちは「進んでいる」

進んでいない日は1日だってなかった。

その「選択」が幸せな選択か?という大切な問いが

全て自分の中に選択できる権利があることを知ってから

初めに書いた「劣等感」も「不安」も

楽しむために自分に与えられたプレゼントだということに

心の底から腹落ちした

知らないことを知ること

「一緒にこの本を語り合っていきましょう」
とても難解で哲学的なスーザンソンタグの「写真論」について

学ばせていただいている方から
言ってもらったその言葉が嬉しくて
とてもワクワクした。

この年になってから自分の中にある軸のような部分を
語り合えること

知らないことを知らない
ということの嬉しさをあらためて知る

同じものを眺めて一緒に話し合えること

悔しくても「好き」なことを続けたからこのことが分かった



自分が勝手に抱いていた「劣等感」や「不安」で
「やらない」を選択していた日々

これから取り戻していく


知らないことはとてももったいないと思う

知らなくて「悔しい!」も「恥ずかしい!」も

湧き上がる感情をただ一緒に眺めていられること

「哲学」を一緒に誰かと話せることが楽しいなんて
一体誰が想像していた???
という気持ちでいっぱいになった

帰り道、ワクワクしながら帰った
すれ違う人がみんな幸せにみえる

知らないことをいっぱい知った

課題もたくさん出た


自分の現在地
いつも本当は
「これから知ることができる」
という希望でいっぱいな場所だった

毎日自分が幸せな「選択」していればこそ
気がつくことができるんだ


「現在地」
自分一人では気がつくことができない
「誰か」がいてくれたから知ることができた
出発点の毎日なんだ




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