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自分というものを自分は知らない

【自分というものを自分は知らない】


「昔からあんたはずっとあんただった。
何にも変わっていない。私がここまで追いつく事ができただけ。」
先日友人が言ってくれた言葉

「私は自分のことを話すと
いつも大好きな場所・人がいなくなってしまうと思っていた。
自分が確かに出した言葉なのだけど、
自分の意図とは違って切り取られてしまう。
フェイクニュースのように広まり
自分が伝えたことではないのに空回りしていく。
自分が出したものだから回収しようとしても、
そのときにはできなくて。」


と伝えると

「あんたはそう思っていたんだね」といった


昔、ママ友トラブルや自分が大事にしていた場所がゴッソリと消えたと
感じていた時も友人は
「あんたはあんたでいい」と言ってくれた

彼女がいうには、私は無意識のように相手の本質に触れてくると
ふわふわとした切り口で
だから本質を見たくない人は怖くなるんだねと話す

普通の人は自分の本質を知るのが怖い物だよと
そこを嫌がらせの形で返すのに
あんたはヘラヘラかわすでしょ
で、結果嫌がらせされた相手を
嫌いじゃないとかわけわからないことを言い出す

許す いつも意味わかんないと思ってた


誰にでもできることじゃない
あんたはあんたでいい

自分らしさ


自分という生き物は薄いガラスのようなものを綱渡りしている存在のように思う

透明のガラスのような物だから
自分の足元の先に確かな道があるのかないのか道の幅さえもわからない
信じることができないという感じ

そんな不確かな物の上を歩いている


時々思わぬことで割れるし
さらに不安になるけれど
いつだってちょっと先を歩く誰かの存在に励まされたときに

自分は自分であることの勇気をもらうのだと思う


「自分というものを自分は知らない」

私の人生の大きな節目を迎えると
いつも誰かが何かしらのメッセージで自分の位置を教えてくれる


「そこじゃない」
「ちゃんとあるよ」


あとは自分自身で進むだけ


割れた経験からガラスは薄いと思い込んでいたけれど

薄かった部分があっただけだ

そう思えるようになった


自分で自分の足元を力強く踏んでもしっかりとしていることがわかった


「いつも私は私だった」

思うに自分の存在を「自分らしくていいよ」と言ってくれる人と
出会えることは極めて少ないと思う

身近にすでにいたのに大切な存在に気がつかなくて
遠くにいる誰かを探していた。

近くにいる人が自分の在るを教えてくれる


遠くの人じゃなかった。一流の人でもなかった。
身近で自分のことを大切に思ってくれる存在。
自分では身近すぎて気がつかなかった人の存在。

それは自分も含む

「私は目の前の人・今の自分に集中するだけでいい」

確信に変わる。


信じていいものがここには在る

新月のように目には見えなくてもちゃんと在ることを実感する





でもさー、全てのことを「いいよ」としていたら体は悲鳴を上げるんです。
肝臓?脂肪肝?
そこは怒りの臓器です。自分の体が怒ってます。ちゃんと労りなさい。


いつも大事なことを教えてくれる友人たちに感謝です(笑)

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