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写真コンペへのチャレンジ

先日行われたフォトネクスト2022で私はNAPAの写真コンペへチャレンジをさせていただきました。
結果としては残念な結果となってしまいましたが
今回のチャレンジではとても貴重な経験をさせていただきました。

コンペへチャレンジする経緯から少しお話しさせてください。

はじまりは2021.1.7こどもとかめら同期のpockets新年会からだったように思います。

この写真だしたのおこられるだろーなー。。。

私はだいたいいつもはふざけてばかりで
カメラが楽しくて仕方がない!とこのメンバーとカメラの時間を
過ごしてきました。
この新年会もふざけて懐かしい写真を引っ張り出して
しのぶさんをこっそりえっちゃんだったかな?が呼んでいてくれて。
フェスに出るまちこをおどろかそう!と悪巧みをしていた記憶があります。


ですが私はこの年状況が一変した年でした。

私はその数日前に大切な友人を突然の病で失ったのです。

ぽっかりと心に空いた穴
そんな中で新年会をした記憶があります。

その頃私はその友人と「けいちゃんは本当は何が撮りたいの?」と
話していて
カメラについて真剣にあるフォトグラファーさんから学んでいて
その頃すでに
七五三などのハレの日撮影に対して
続けていくイメージがだんだんと持てなくなっていました。
なぜかはわかっていなかったのですが
ふと思う撮影はターミナル期 エンドステージの人を撮影したい
という気持ちが出ていました。

気持ちはあるけれど
「やる」と決められない状況が続いていました。
この時期の大変さをずっと大学病院でつらく思ってきたこと
自分が本当に受け止められる器なのか
カメラの技術に対してのコンプレックスが大きいこと

「やる」
と決心するまでなかなか動くことができないでいました。
準備をしていても
実際に「動く」まではできないていたのです

そんな時に友人とたくさんこの話をしました。
「けいちゃんは何がしたいの?」
「本当の私は何を撮りたいの?」と

そして「エンドステージの撮影この撮影を来年はじめたい」
と声に出したほんの数日後に
彼女は亡くなりました。

新年会でふざけている合間に

亡くなった彼女との約束を形にすること
必死に話した記憶があります。

「けいこ大丈夫?」とみんなから
声をかけてもらった記憶もうっすらとあります。



その後エンドステージフォトをプランとして発表
までは必死に出したのですが
徐々に「カメラと私」の距離がわからなくなっていきました。

多分彼女を失ったダメージが大きすぎたのだと思います。

そんな中でも嬉しいことに撮影のご依頼は何件かありました。

撮影している時は楽しい
でも撮影し終わった後に
ものすごい不安が押し寄せるようになりました

コロナの真っ只中
私の撮影に興味を持ってくれる方
「撮りたい」と言ってくれる方もいらっしゃったのですが
実際に「撮る」と日程を決めるまでには至りませんでした。

撮りたいけど
病状がもう少し落ち着いたら。。。
コロナが落ち着いたら。。。

その間に数名の方がお亡くなりになりました。

この撮影は私は実際に撮ることができないのかもしれない。
やっぱり無理かもしれない。

そう考えるたびに
フォトグラファーの友人たちと距離ができていくような気がしました。

撮っていてもなんだか違うような気持ちになってしまう。

それは多分
撮りたいと思っているのはエンドステージの写真
でも必要とされていないのではないか と
そこに行き着いてしまうからだった気がします。

そんな時に亡くなった友人に背中を押してもらって必死に書いた文章
を読んで

私の表現を見るたびに「心が動く」と
「撮りたい」から「撮る」と決めて
エンドステージフォトを約束してくれた昔からの友人がいました。
乳がんでほとんど外へ出ることがなくなっていた友人からでした。

その後彼女のペースで吉日と呼ばれる日に
撮影に向けてのメッセージがくるようになりました。

何度目かのメッセージの後に2021年の年末
2021年が終わる前に撮ってほしいと
撮影をさせていただきました。

その撮影させていただいた写真がこちらです



彼女とは実は乳がんを診断された頃から
「恵子ちゃんにヌードをとってもらったらよかった」
と冗談を言いながら話していたことがありました。
その時は病状の報告をしてくれることだけで
友人としてそのことを一緒に眺めさせてもらうだけで
本当に嬉しかった。それが3年前です。
本当に写真を撮るとは思っていませんでした。
言葉だけで嬉しかったのを覚えています。



その後エンドステージフォトのプランを発表した後に
「going flatで生きると決めた。だから恵子ちゃんに写真を撮ってもらう」と
メッセージをくれました。

そしてついにきた撮影の日

私たちはこの日たくさんの会えなかった時間を埋めました
彼女の一番辛い痛みに触れ一緒に泣いた後
「私じつはカツラ嫌いなの」と笑顔でカツラを外し
少しづつ傷を見せてくれました。

「けいこちゃんならこの傷を大切にしてくれると思った
だから、全ての写真をけいこちゃんになら託せるよ」と

言ってくれました。

「これから取り戻すの。」

そんな彼女の言葉から白と黒の世界が色とりどりになっていくようにと
いう気持ちを込めて

そしてまだちょっとお母さんが傷を露出することに抵抗がある娘さんに配慮して
顔がわからないように
目はトリミングさせていただきました。

笑った口元が残るようにと
現像しました。


ようやく
人対人
として
向き合って手応えを感じた一枚。

ようやく「写真を撮った」という気がしました。

みんなの元に帰れる気がして
こどもとかめら写真展にこの写真を出そうと決めました。

写真をしのぶさんに送ると
「けいここれ別のところに出してみよう」
と言ってくれました。

それで今回NAPAの写真コンペにチャレンジすることになったのです。

結果は残念でしたが
しのぶさんが「チャレンジしてみよう」と言ってくれたこと
この写真を「美しいと思った。このリアルなシワとか。」と言ってくれたこと
たくさんに人に見てもらうきっかけをくれたこと
しのぶさんから頑張った賞としてトートバッグをいただいたこと
プリントの相談をフジフィルムさんを交えてさせていただいたこと
その時に「笑顔の写真ならマットは白です」と言ってもらったこと
「けいこの写真見ましたか?是非みてあげてくださいね。」と言ってくれたこと
仕事で公開審査出れなかったのですが「見届けてきたよ。惜しかったよ。」と言ってくれたこと

この全てにほんとにほんとにこれだけで胸いっぱいなんですよ。

あーーーーー書いてて涙出る


この後私はちゃんと高校球児のように
自分の表現がやっぱり伝わらないことにくやしさが込み上げて
今の自分の表現ではきっと撮らせてもらったモデルさんを守れないと
泣いて泣いておりました

そしたらたくさんのご褒美の言葉が飛んできてですね

「表現を評価されることが怖かったけど
恵子さんを見ていたら頑張りたくなりました」とか

「この生き方を美しいってとらえて表現すること
本当に美しいと思うとか」

「女性がこの生き方を撮らせてくれたことだけでもすごいし
ここの場に立てるってものすごい信頼関係がないと撮れない
この凄さが伝わらないの悔しいね」と
私の悔しさをわかってくれたり

残念会を開いてくれたり
スタバのチケットいただいたり・・・

得たものが大きすぎてですね。

チャレンジしてよかった
と心から思ったんです。

そしてまた頑張ろうと思いました。

モデルをしてくれた友人にこの報告をすると

「私は、けいこちゃんに撮ってもらった段階で、
解放されたの。
けいこちゃんが、守ってくれなくても大丈夫なくらい、
あの瞬間に強くなったんだよー
賛否両論あるのは、あたりまえ
going flatっていう生き方を初めて知った人たちに、
響いたことで充分
友だちや家族、自分が病気になったとき、
おもいだして、強くなってもらえれば嬉しいね」
と素敵な歌と共にメッセージをくれました。


私の表現はこれから
一人一人と向き合って
生きている証や喜びを一緒に感じて
死ぬ前にその瞬間を残せたら
こんなに素晴らしいことはないということが
やっぱりわかったから。
そんな瞬間を1枚でも多く。

それには私だけじゃ無理なので。
仲間を見つけていきたいと思っています。

そう思えたのは今回のチャレンジがあったからです。

長々と読んでいただきありがとうございました。

表現はやっぱり素晴らしい!って思います。
誰かの表現は誰かの止まっていた時間を動かす力があるから。

しのぶさん素敵な機会を本当にありがとうございました。



美しい方々にしのぶさんバッグ持って撮らせていただきましたwww
とっても使いやすくてかわいいバッグ
再販しないんだって!!!
これほんとにカメラやっている方使いやすくておすすめ!
絶対ゲットした方がいいと思った。
↓これだよーーーー!





モデルご協力本当にありがとうございました!

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