見出し画像

一次産業がつよいワケ

ものづくり、とは世の中になにもないところに、材料と作業を通して、何かしらの「カタチ」として有形のものをつくりだす作業。これまでなかったところに、「ある」をつくる仕事ですから、それは「価値」がはっきりと見えるわけです。これからますます「つくる」ことの価値は上がりっぱなしです。

1、「つくる」の進化がもたらしたもの

この世の中に絶対必要なもの。それは「食」です。食べるものがなければ、人間は生きていけません。一食ぐらい抜くことはできても、1日何も食べなければ、お腹はすく。三日間何も食べられなくては、生きる気力も失う。一週間食べなければ、ほぼ衰弱して、動くことさえできないでしょう。

そんなわけで、人間がこの世の中に存在する限り「食」は欠かすことのできないもの。産業革命以降、多くの「動力」を手に入れた人間は、機械化の恩恵を受け、人間だけの力を超えて、多くの作業や生産が可能となりました。

移動すること、繰り返すこと、同時にすること。そういった価値が、機械化の恩恵たるものですが、それがもたらした「大量生産」という産物は、多くの人を豊かに、そして手作業に寄る時間を開放してきたわけです。

仕事においても「一人でできる範囲」は増えていき、完全自動化した工場では「無人化」が進むように、そして、家事においては、洗濯機などボタン一つでその場を離れることができる。こうした「時間の開放」は多くの人に「余力と煩悩」を生み出したとも言えるのです。

そんな革命的なことがおきたとしても、人は「食べていかねばならない」存在。だからこそ、これまで「食べられればいい」ものは「食べたい」ものにない「おいしい」ものへと、余力と暇の創出に伴って、食への欲求と要望は高まっていくばかり。もはや慢心とも言える価値の追求ではありますが、一度体験した価値を下げることはなかなかできないもの。

だからこそ、より「高品質」なものを「もっとたくさん」生産する必要に迫られているのです。それが一次産業が、これからも伸びていくも最たる理由です。

2、「なにをつくる」べきか

そんな贅沢を味わった現代の私達にとって、一次産業はどんなものを作っていくべきか。それは「おいしいものをより多く」作るという、ただ一点しかありません。

農法や農薬の仔細な問題は、所詮、個人や見方といった極小化された課題に過ぎず、最も大事なことは「おいしいものがほしい」という要望をどれほど満たせる「量」がつくれるか、です。

環境問題とか、持続可能性とか、そんなものは資本主義社会の余力がもたらした煩悩のようなもの。最もやらねばならぬのは「いいものを作り続けること」にほかなりません。

自然農法にまかせて、収量が少なかった。

雑草を取り切れずに、育ちが悪かった。

干ばつで収量が減った。

そんな状況を「しょうがない」の一言で片付けるのは愚の骨頂。いいわけです。一次産業が担うべきは「収量の増大」にほかなりません。

米あまり?そりゃ政策的にやっているからでしょう。それに乗っかる以上は、人口が減る中で余って当然。余剰米が出ても加工するわけでもなく、古米、備蓄米として積み上がっていくだけ。そんな現状に「しょうがない」のまま、政策を是認してきたのは、米農家の責任じゃなく、国民全員の責任。どこかで、こんな選挙の票田を確保するための、不採算な農業を持続させることは辞めなければならない。

一方で、きちんと収量と収益を確立している米農家だって存在している。だから、需給と余剰にあわせた「消費者」だって、その責任の一端を担っていることを自覚すべきでしょう。ニュースで「米が余って大変だ」というのを見かけて、同情する眼の前で、パンやクッキーを食べているんだから…。

3、世界はモノ不足に陥る

これから、世界はモノ不足に陥るでしょう。それは、爆発し続ける人口を養う食料の絶対量は足りないし、資源を食い尽くして農地として活用できる土地も限られる。そして、二次産業では、エネルギー問題で、価格が高騰し、資材の調達や価格変動で非常に不安定な状況が続く。

そんな最中でも、安定しているのが一次産業なわけです。工場で作る人だって、食べるものがあってこそ、労働力を提供出来る。

一次産業、二次産業、三次産業とは、横にむくベクトルではなく、上下に積み重なった積み木みたいなものです。

一次産業の上に、二次産業が成り立ち、二次産業があることで、三次産業に従事することができる。その根底である一次産業が強くなければ、その上に成り立つ二次産業も三次産業も崩壊する他ないのです。

収入が少ない、投資の負担が大きい、地主や小作農の問題、地域の人間関係など、一次産業に従事するには多くの問題があることも事実。それでも、続けている、いや続けられているということは、それだけですべての産業の土台を支えているようなもの。

誇り高き一次産業を資本主義社会の「金銭」や「所得」だけで比較しないでください。すべての産業の根幹となる一次産業なしには、そんな他の産業や業種の「バブルのような所得や稼ぎ」は生まれていないのですから。

いざとなったら、札束が紙切れとなる。それをいま、世界がリアルタイムに目撃しようとしているんですから…。

日本と世界を飛び回った各地域の経験と、小論文全国1位の言語化力を活かし、デジタル社会への一歩を踏み出す人を応援します!