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「一発屋」は、「当てた」というだけですごいんだと思う

某歌手の曲を久しぶりに聴き返した。発表された当時、とても気に入っていた曲だ。彼女の曲はこれしか知らないが、今でもたまに聴きたくなる。

アーティストでも芸人でも、ひとつだけのヒット作や「受けネタ」を残してその後あまり注目を集めなくなった人が「一発屋」と呼ばれることがある。

多くの場合、この言葉が使われる時には揶揄するような響きが含まれている。でも実際は、一回「当てる」だけでもものすごいことなんだと私は思う。

クリエイティブな分野の特徴は、成功した時の報酬は天井知らずに大きいけれど、成功するのがとんでもなく難しいということだろう。並外れた才能と努力はもちろん、運やタイミング、人の縁なども大きく影響するはずだ。

その中でトップクラスに上がれるのはほんのひと握り、さらに第一線で長く活躍し続けられる人はさらに限られる。私の高校の同級生でも卒業後に芸人になるとその道に進んだコンビがいたが、その後どうしたのかは噂にも聞かない。

大半の人にとって夢が夢のままで終わってしまう世界。一度だけとはいえスポットライトを浴びることができた人は、「一発屋」と上から目線で呼ぶような存在ではないと思う。

「運」という点に絞れば、宝くじが近いところかもしれない。たとえば毎年年末ジャンボ宝くじを買っている人がいて、一度だけ何億円とか何千万円当たり、その後はサッパリだったとする。その人を「一発屋」と揶揄するだろうか。私なら、一度でいいからそうなってみたいとうらやむ。

もちろん、アーティストでも芸人でも宝くじ当選者でも、一度の成功をずっと続くものと錯覚してわがまま化したり金遣いが荒くなったりと、周りからひんしゅくを買うような態度を表に出すような人もいるかもしれない。そういう場合は、成功が続かなくなった後が大変だろうし、余計「あいつがうまく行ったのはまぐれだ」とか言われたりもするのだろう。

そのあたりの事情までは知らないが、「一度だけでも十分成功だよな」という思いが、私の中では年とともに強くなってきている。

ただ、ひとつ忘れてはならないことがある。

一発屋になるには、何度も何度も本気で勝負をかけ、失敗にめげずそれを続けなければならないということだ。

この大前提は、私には果てしなく重い。そう考える時点で、私のような者は一発屋を目指すための舞台にも立たないのである。ただ、大きな当たりでなくとも、自分の世界を少しずつ広げていくための「小さな取り組み」は、不断に続けていきたいと思っている。


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