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人が言う最高なカメラなんてモノに意味は無い。

noteでよく見かける記事に、このカメラを買え!とか、このメーカーの色が最高だ!とか、このレンズは最高!なんて記事がありますが

そんな記事を読む時間は無駄なので僕は全くおすすめしません

写真は哲学だと思います。

哲学として写真を考えるべきなのだと思います。

写真のアレテーとは何なのか?

そんな事を考えると

最新であるとか、センサーサイズとか、メーカーがどことか

そんなモノ全く関係無い世界が広がっている事に気がつきます。

幸せの形が人それぞれ違うように、他人の考える最高なんて参考にする必要は無いのです。

カメラやレンズの比較

多くの記事は機材をベタ誉めしていますが正確な比較をしていません。そして、比較するほど機材を持っていない人が書いているモノが多すぎます。撮影経験の少ない人が書く機材ベタ誉め記事などは、購入した自慢や自己陶酔がほとんどで全く読む価値が無いモノがほとんどです。

レンズの比較では解像度は比較しやすいですが、ボケなどの美しさや色のりetc、数値に出来ない魅力を比較出来ていない事も多いです。ボディの比較に関しても解像度とISO関連ばかりで本質的な比較になっていなかったりします。中にはrawではなくjpgで比較している記事もあり唖然とします。国内メーカーがライセンスで作っているレンズを本家ドイツのメーカーが作っていると思い込んでいる記事もあり信憑性すらありません。販売不振になった瞬間にPC部門を身売りしたメーカーの事を将来も安全です。なんて盲信しているユーザーもいて驚かされます。国内オーディオメーカーが死滅したようにカメラメーカーも消えゆく運命です。市場全体が健全かと言うと健全では無いのです。エントリーユーザーが皆無な市場に未来は無いのです。カメラ市場は数少ないユーザーにハイエンド系の高価な商品を供給して延命しているに過ぎないのです。そんな中で声高に高価な機材をベタ誉めしている人を見ると僕は残念な気持ちになります。日本の写真文化って、いつからカメラ機材文化に変わったのでしょう?

数値的に云々とか、高いとか安いとか、古いとか新しい、メーカーがどことか、そんな事も写真では関係無い気がするのです。お互いに良い点と悪い点を必ず持っているのです。オーディオブームの時には、音楽に価値があり、高いオーディオを買ってでも聞きたい音楽があったから売れたのです。音楽そのものの価値が下がり過ぎた事と、良い音と言う価値観、その変化がオーディオブームの終焉と現在の状況を生み出したように、現在の写真文化は写真そのものへの価値観の変化を感じずにはいられません。

高級な絵の具で描いたから、その絵画に価値がある。

という話にはならないと思うのです。

描く絵にこそ価値があると思うのです。

そして疑問になるのが

最高のカメラを持つと最高の写真が撮れるのか?

最高の写真は、どんなカメラで撮れるのか?

という部分になります。

普通に考えると答えは一瞬で思い浮かぶのです。

最高の写真は、どんなカメラでも撮れるのです。

iphoneでも良いのです。写ルンですでも良いのです。

デジタルでも、フィルムでも良いのです。

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最高の写真

最高の写真って、何なのだろう?

そんな事を考える事が大事なのかも知れません。

そして時に、何も考えず無心に撮る事が大事なのかも知れません。

人から賞賛される写真が最高なのか?

自分自身が最高と思える写真こそが最高なのか?

最高を追い求め続ける事。

最高なんて、どおでもいいや。なんて選択も素敵なんだと思います。

矛盾という言葉が、この世界を支配しています。次から次へと最高が生まれ続け、次から次へと最新が生まれるのです。巨大なメーカーが突然消えたり、エポックなメーカーが突然生まれたり。

写真を撮るというシンプルな道具なのに

いつの頃からか

凄い道具が凄い写真を撮れる。

という間違った認識が世界に撒き散らされています。

写真を撮るのは「人」です。

人こそが重要なパーツなのです。

無限にバージョンアップする文字通り最強の重要要素です。

150万円のライカを買って何も撮らないよりも、150万円で旅をして安い中古のカメラで沢山の写真を撮る事の方が素敵です。

新しいカメラを買うよりもシャッター部品が壊れる程、今使っているカメラで写真を撮る方が勉強になると思います。

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カメラを紹介している記事や雑誌を見ている時間があるなら、カメラを持って写真を撮りに出かける方が良いと思います。写真を研究する為に写真集を買うくらいなら美術書を読んだ方が良いと思います。知り合いの写真展に行く時間があるなら、一人で旅に出る方が良いと思います。SNSで他人の写真を見る時間は、自分自身で写真を撮る時間にした方が良いと思うのです。

人が言う最高のカメラ、

最高のレンズ、

最高の写真なんて、

意味は無いのだから。

how toなんて読むくらいなら人一倍失敗しましょう。

イイネの数なんて気にする位ならSNSなんてやめましょう。

急ぎすぎる必要は無いのです。

何事も急がば回れ。

自分が目指す最高の写真を目指すべきなのでは?

お金で買えるものよりもお金では買えない経験の方が重要です。

「今の自分には、そんな機材必要無いよ。そんなお金があったらフランスに行って写真撮ってくるよ」なんて粋なセリフを言える人が好きだなぁ。

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永遠に止まる事のない時間

僕たちはカメラという道具で流れ去る一瞬を捕まえる事ができる。

記憶は残念な事に薄れて行く、そして、いつか消え去る。

大切な誰かの時間を写真に閉じ込めよう。

何気ないプレゼントデイを写真に閉じ込めよう。

写真はアルバムの中で素敵な時間を閉じ込めた宝箱になる。

アルバムを開いた人の心の扉を開き、時間さえも飛び越えて

過ごした大切な時を思い出させてくれると思うのです。

あるいは

写真は消える事なくネットの海の中を彷徨い続け

いつの日か時の旅人になる。

誰も見る事の無いアルバムに写真を閉じ込めるよりも

ネットの海の中、写真を船出させよう。

いつか、どこかの国の誰かの心の扉を開き

何かが通じ合える瞬間を心待ちにしよう。

「売れないカメラマンにコーヒーを一杯飲ませてやるよ」っていう心優しい方、サポートおまちしております。コーヒーは我慢して交通費や制作費に充てさせていただきます。