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SNSで見るポートレートへの違和感

心が動いたらシャッターのボタンを押す。シンプルな事だと思います。でも僕が目指す写真は、ほんの少し違う何かを目指していたりします。

大好きなカメラマンは誰ですか?なんて人に聞かれるとジョーマクナリーと即答しています。子供のころ見ていたタイムやナショナルジオグラフィックの写真が好きだったのです。彼の写真にはジャーナリズムと物語性、ポートレート、コンセプチュアルが存在していて、うまく言えませんが心が動かされた事が多かったのです。彼の人生そのものも好きでした。誰もがカメラマンは儲かるなんて妄想を抱いているみたいですが、ジョーマクナリーは安月給の中で頑張っていました。そしてデジタル時代の流れの中翻弄され、長年勤めていたタイムもクビになってしまったのです。そんな彼の苦労も好きなんですよね。

近年はカメラが高性能化した事と、カメラがデジタル化されて写真を楽しむ際に、それほどお金が必要ではなくなった事(だって大昔はフィルム代や現像代が高くて、、という事で躊躇していた人が多かったじゃないですか)、カメラ自体がリーズナブルになった事、How to本やネット記事、SNSの普及などなどで誰もが手軽にカメラを趣味、というか生活の1部として、写真を楽しんでいる時代となりました。

SNSではポートレートの写真を得意げにアップしている一般のカメラマンと撮影モデルが多くて、随分と驚きました。だって芸能タレントや本職モデルよりも「イイね」の数が凄い人とか多いんです。

でも、そんな人達のポートレートに違和感を感じながら見ている自分がいます。

何に違和感を感じているんだろう?と考えると、それは、人気撮影会モデルの写真の多さです。そして、その数とは裏腹に写真自体のバリエーションが少ない事でしょうか?そういった撮影会に、僕は全く興味が無いのでシステムを知らないのですが、恐らく時間制で一斉に?撮っているイメージですかね。写真から受ける印象は、人ではなくて物を撮っているように見えてきます。モデル自体、誰でも、ある程度の写真が撮れるように決めポーズで固定、な雰囲気でしょうか。

撮影意図とかも薄弱で、ただ綺麗な人を撮りたい。あるいはセクシーな人を撮りたい、あるいは可愛い人を撮りたい。などといったカメラマンサイドの欲求みたいな物が映し出されただけの写真。これが現代のポートレートなのか?って疑問を感じながら見ています。少なくても、僕は、そんな写真をポートレートと呼ばないです。SNSで得意げにアップされた写真は、撮影会モデルの宣伝になり、似たようなカメラマンを呼ぶ循環サイクルとなっているのでしょう。なのでモデルの魅力の上で成り立っているビジネス。モデルの魅力の上で成立している写真。モデルへのお布施、応援的ないいねの数。として、僕は違和感を感じて見ているのだと思います。素敵な写真を撮っている。と言うよりも運営側の意図の中で、ある種の定型フォーマット写真を撮らされている印象でしょうか。

運営側がロケハンをして、ある程度のクオリティーで写真が撮れる場所をピックアップ、あるいはスタジオのセレクト、それなりに魅力のあるモデル、それなりのポーズ。それなりの衣装。運営側がライティングなどをサポート、それなりの写真が撮れる訳です。でも、そこにカメラマンとしての個性、実験や挑戦の機会は少ないのではないでしょうか?

フリーモデルをしている。と言う方々の写真にも違和感を感じて見ています。目的がお金なら明確なのかも知れません。しかし、素敵に撮ってもらえてはいない写真をアップし続ける事は得策には思えないのです。ダメな写真をアップし続ける事はモデル自体の魅力を伝えきれず、マイナスなイメージしか生み出さないのです。結果としてモデルが素敵に見えないので撮影依頼が減る。フリーモデルでは食えない。って話になるのかな?って思うんです。なのでキチンとしたコンポジを作ったり、事前にキチンとしたイメージの写真をプロに撮ってもらう。定期的に季節の写真を事前にプロに撮ってもらっておく方が良いと思います。一般の方達の撮影では季節をリアルタイムで撮る傾向が強いです。そうなると季節に対して後追いとなります。プロの場合は事前に撮る違いがあります。事前に撮っておくとプロモーションとしてベストなタイミングで写真をアップ出来る差が出ます。結果、お客さんへのアプローチに差が出ます。

下着撮影とか、ホテルで撮影とか危険な条件を飲んでいるフリーモデルも多くて驚かされます。日本は平和って事でしょうか?そんな撮影をしているフリーモデルが危険な目にあった話はSNSで無くなりません。そしてフリーモデルとは言っていますが所詮一般人です。一般人が下着やヌードになって、カメラが趣味の一般人と二人でホテルで写真を撮る。その写真がSNSにアップされていて、アートだ、作品だ、なんだってのも不思議な違和感を感じています。

お金欲しさ、あるいはSNS上で誰かに承認されたくて下着撮影やヌード撮影をして、数年後、その写真が悲しい過去になっている女性を見たりしているので、今だけを見ているフリーモデルの子達には「そんな撮影、やめた方がイイよ」って言いたい。結婚後、旦那さんの同僚とか上司とか、あるいは子供の友達の親とかが、あるいは今働いている職場で、いつの日か噂になります。当人の両親が知っても悲しい事になりそうな気がするのです。あなたが若気の至りで撮った。撮られた下着やヌード画像は、あなたの意に反して、きっとどこかに残り続ける事でしょう。女の子のカメラマンに撮ってもらったから大丈夫、撮影中は大丈夫かもです、でも誰に撮ってもらっても写真は残ります。それを承知で私は被写体しているんだ!って方は、ポリシーがあって良いと思います。

そして、もう一つ言いたいのは、カメラマン側はSNSでアップするからには覚悟とか見せて欲しい。匿名のアカウントで他人を撮って、SNSアイコンに自分の顔写真は無し。ある種、自分だけは安全な所にいる。と言うのも変な話だと思います。顔写真付き、実名でアカウント作る事になったら、その人は、どんな写真を撮るのだろう?今の職場で、「SNSで知り合った子に声かけて写真撮ってます。」「若い子にお金支払ってホテルで会って脱いでもらってます。」って知られても大丈夫な人は、どれだけいるのだろう?SNSの匿名性と、自己顕示欲や自己陶酔、承認欲求など、人の欲望をSNSで暴走させている人たちが、カメラジャンルの中に意外にも少なくない気がしています。

うまく言えないけど、僕が目指す写真は、そんな誰かとは違う何かを目指し、葛藤してジタバタしています。そんなジタバタと、うまく言えない何かを写真にしたい気持ちを大切にしています。今の時代、なんか違うんじゃないか?って言う反骨心を、すごく心の中に燃やしています。

僕は写真の中に、ほんの少しのジャーナリズムと物語性、ポートレート、コンセプチュアルを閉じ込めたい。

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モデル:ひなた日姫さん

「売れないカメラマンにコーヒーを一杯飲ませてやるよ」っていう心優しい方、サポートおまちしております。コーヒーは我慢して交通費や制作費に充てさせていただきます。