【サッカー歴】①サッカーとの出会い

サッカー歴をできるだけ丁寧に、かつできるだけテンポ良く振り返っていこうと思います。

まずはサッカーとの出会いについて。
結論から言いましょう。

覚えてません。

サッカーを始めたきっかけは?って、よくある質問なんだけど、正直覚えてないんです。

聞かれたときには、

「気付いたらやってた」
「友達がやってたから」
「中村俊輔に憧れて」
「ちゃんと始めたのは小学校3年生から」

のどれかで適当に答えてます。

この4つの答えについて説明することで、サッカーとの出会いがどんなものだったか、見えてくるんじゃないかと思うのでやってみます。

「気付いたらやってた」

これが一番手っ取り早い。説明するのが面倒なとき、、、というより、相手があまり興味なさそうなときは大体これで済ませてます。

「中村俊輔に憧れて」

自分の中では一番かっこいい答えだと思ってるから割と多用するんだけど、残念ながら多分"始めたきっかけ"ではない。
中村俊輔が活躍し始めた時期と自分の年齢を照らし合わせたときに、計算が合わないんです。
一番最初に好きになったサッカー選手であることは間違いないし、今でも大好きな選手なんだけど、どうやら"始めたきっかけ"ではないみたい。

「友達がやってたから」

これが一番有力な説。
父親が転勤族だったので、小さい頃は何度か引越しをしていたようです。"ようです"という表現にしたのは、小さすぎてあまり覚えていないから。
確か幼稚園の年中さん(?)ぐらいから小学校2年生の終わりまで埼玉県に住んでいて、そのときに始めたんじゃないかな。それ以前にも、「ボールを蹴って遊ぶ」ぐらいのことはやってたと思うけど。
当時同じ幼稚園に通ってた友達がお兄ちゃんの影響でサッカーをやってて、それを見て「僕もやる!」ってなったんだと思う。
ちなみにその友達のお兄ちゃんは学年でいうと2つ上。私の姉と同い年。
本当に優しくて面倒見の良いお兄ちゃんだった。サッカーしたりゲームしたり、毎日一緒に遊んでた。
あれ以来ずーっとお兄ちゃんが欲しいんだけど、こればっかりは何度親に頼んでも却下され続けてます。残念。


当時は習い事をたくさんやっていて、サッカーの他にもテニス、水泳、お絵かき教室。サッカーと水泳は週2だった気がするから、ほとんど毎日習い事してたことになる。あれ?テニスも週2か?だとするとお絵かき教室は埼玉に住む前かも。わかんないや。

ちなみに親は音楽もやらせたかったらしく、姉が通っていたヤマハ音楽教室に体験で連れていかれたことがある。
みんなでピアノの前に集まって「ドレミファソ〜」って歌ってるときに、私は1人で教室内を走り回っていたらしく、親は「この子に音楽は無理だ」と思ったらしい。
姉はピアノと歌をやっていて、特に歌はそこそこ優秀だったらしく、大学進学のタイミングでは「先生の紹介で音大に入れる」みたいな話もあったとか無かったとか。知らんけど。
そんな姉への小さな劣等感もあり、家族の前ではあまり言いたくないんだけど、音楽も嫌いじゃない。むしろ好き。サッカーと音楽は切っても切れない関係だと思ってる。

ちょっと話が逸れたけど、とにかくそんな状態で、サッカーはたくさんある習い事の中の一つでしかなかった。

「ちゃんと始めたのは小学校3年生から」

これがある意味一番正確な回答。

サッカーのことで頭がいっぱいになり始めたのは、小学校3年生から。
2年生から3年生に上がるタイミングで都内に引越したことがきっかけだった。

たくさんあった習い事は一旦リセットされ、新たな土地で続けるもの、やめるもの、新しく始めるものを選ぶ必要があった。

父親が提示してきた条件は、

・勉強、音楽、スポーツをそれぞれ最低1つ
・何をやりたいのか、何でやりたいのか、おれを納得させられたら金はいくらでも出してやる

というものだった。

なかなか挑戦的な条件だけど、実際のところは「何をやりたいのか、ちゃんと自分で考えてみなさい」ということだったんだと思う。
小学校3年生の子供が父親を論破できるはずがない。自分の頭で考えるトレーニングと、やる気の確認だったんだと思う。

勉強

埼玉にいた頃から学校の成績は優秀だった。
仲の良い友達と2人、いつもテストは満点だった。
良きライバルであり、大切な友達だったけど、計算の速さだけはどうしても勝てなかった。
「なんでそんなに速いの?」と聞いたら、「くもんに通っているから」と言われた。
「やってて良かった公文式」ってやつだ(古い?)。
自分は公文に通ってない状態で接戦なんだから、通えば絶対勝てるとずっと思っていた。
当時は他の習い事があったから通えなかったけど、引越しで一度リセットされたことを機に公文に通うことを決めた。何の迷いもなかった。
今も「やってて良かった」と思っている。

音楽

これはまったくやる気がなかった。
当時、音楽は女の子がやるものだと思っていた。
ヤマハ音楽教室での光景を目の当たりにしていた母親の説得もあってか、父親も比較的簡単に諦めてくれた。
それから二十数年後の今、不思議な縁で突如ベースを弾きはじめるんだから人生は面白い。

スポーツ

これは取捨選択が必要だった。テニス、水泳、サッカーの3つからどれかを選ぶのか、全部やるのか、はたまたまったく違うことをやるのか。

今思えば、両親の希望は明確だった。
我が家はテニス一家で、両親は60歳を越えた今もテニスを続けている。姉も小学生の間はテニススクールに通い、中高では部活でテニスをやっていた。
自分もテニス自体は嫌いじゃなかったけど、問題は父親の存在だった。
父親は(今思えば自分もしっかりその血を引いてるけど)"教えたがり"なのだ。
テニスをしている息子を見ると黙っていられない、アドバイスをしたくて仕方ない。
それが鬱陶しかった。だから、自分の中でテニスを続けるという選択肢は無かった。

水泳も嫌いじゃなかったけど、別に楽しくもなかった。
小さい頃は友達が多い方だったけど、水泳教室ではなぜかあまり友達もできなかった。
着替えるのがめんどくさい、とかわけのわからない小さな理由もあって、水泳もやめることにした。

サッカーは当時から、ただただ楽しかったんだと思う。
正直あまり覚えてないけど、仲の良い友達と、そのお兄ちゃんと、ボール蹴って遊んで、誰にも邪魔されない時間。楽しいに決まってる。
続けることにした。

できるだけそれっぽい書き方をしてみたけど、結局のところ、

テニス→お父さんがうるさいからやりたくない
水泳→つまんないからやりたくない
サッカー→また埼玉のお兄ちゃんと遊びたいからやる

みたいな、極めてシンプルな思考回路だったと思う。

結果的にはサッカーを続けるという結論に至ったわけだけど、この「また〇〇と遊びたいからサッカーを続ける」みたいな思考は今も自分の中に根強く残ってる(ということに、今この文章を書いていて気付いた)。

ちなみに、野球とかバスケとか他のスポーツにはまったく興味が湧かなかった。
体を動かすことは好きだったけど、決して運動神経が良いわけでもなかったし。
野球は埼玉時代に遊びでやったことがあって、振れども振れどもバットにボールが当たらず、あっという間に心が折れたのをなんとなく覚えている。
バスケも然り。あんなに小さいゴールにあんなに大きいボールが入る、というのがいまだに理解できずにいる。
いや、サッカーだって決して上手だったわけでは無いんだけど。足も遅いし、体も小さいし、ビビりだし、泣き虫だし。
でも、それでもやっぱり楽しかったんだと思う。

そんなこんなで引越しをきっかけに、スポーツに関しては晴れてサッカー1本に絞ることとなったわけだけど、テニスを選んでもらえなかった父親はきっと悲しかったと思う。
ひとつだけ約束させられたのは、「自分でやりたいって言ったんだから、必ず最後までやり通せ」ということ。
この「最後」というのがどこを指していたのかはわからないけど、多分「社会人になっても続けろよ」という意味ではなかっただろうと思う。
せいぜい「せめて小学校を卒業するまで」とかそのぐらいだったんじゃないかな。
もちろん当時小学校3年生の私は、深く考えもせずに「わかった」と答えている。
それから20年以上、本気でサッカーをやめたいと思ったことは一度も無く、今も続けているわけだから、多分約束は果たせているはず。

ちなみに引越し先の都内マイホームは、お隣さんが我が家と同じく当時小学5年生の姉、当時小学3年生の弟、という家族構成だった。
私は同級生の弟くんを巻き込んで、地元の少年団に入団。
このとき、彼のパパがコーチとして少年団に加入したのは想定外だった。サッカー経験は無いけどバレー経験があり運動は得意。パワフルな感じの、いわゆる熱血タイプのパパさんコーチだった。
あとで聞いた話によると、少年団の監督がゴリゴリと勧誘し引きずり込んだらしい。監督の人柄を知った今となっては頷ける話だ。
一応言っておくけど「お隣さんのパパがコーチになる」というのは決して嫌ではなかった。息子さんは複雑な思いもあったと思うけど、私自身はどちらかというと心強く感じていた。

ということで、小学校3年生になるタイミングで引越しを機に新たに少年団に加入。これをきっかけに、一気にサッカーの魅力に引きずり込まれていくことになる。


出会いだけでそこそこ長くなったので続きはまた今度。
次回は小学校卒業ぐらいまで書けると良いな。多分無理だな。

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