【サッカー歴】②サッカーの楽しさを知る

①の続き。
引越しを機に、都内某市の少年団に入団するところから。

3年生 入団

小学校3年生の4月に入団。
当時の3年生は20人近くが在籍。
パパさんコーチ2人で面倒見てくれてた感じだったかな。一人はサッカー経験者だったから最低限の基礎は教えてもらったけど、正直サッカーを教わった感はほとんど無い。
チームはそこそこ強くて仲も良かったから、ただなんとなくサッカーを楽しんでた。
それなりに上達もしたと思う。

4〜5年生 弱体化

状況が一変したのは4年生のとき。
引越しとかいろんな理由で一気に5、6人やめちゃって、試合でも全然勝てなくなった。

正直当時のことはあんまり覚えてないんだけど、楽しいだけのサッカーを卒業しちゃったような感覚はあった気がする。
勝てなくて悩んでたとかでは無いんだけど、ただ楽しくやってるだけじゃダメなんだなって。

5年生になるとさらにメンバーも減って、相変わらず勝てない日々。

それでもサッカーはちゃんと楽しかった。
みんな負けて悔しそうなのに、自分だけは楽しかったと思ってる、みたいなことがちょこちょこあって、自分は負けず嫌いじゃないんだなって自覚した。

けどこの時期に前半3-0から後半4点取られて負けた試合があって、コーチ曰く「おまえはあの試合のあと誰よりも泣いてた」らしい。
悔しかったのは覚えてるし、泣いたのも覚えてる。けどそんな泣いてたのか。ちょっと恥ずかしい。
負けず嫌いな日もあったのか?って思ったけど、多分ちょっと違う。勝ち負けと悔しさって必ずしも連動しないから。勝ったのに悔しい試合ってあるし、負けたけど楽しかった試合もたくさんある。
多分この「誰よりも泣いた試合」も勝ち負け以外の部分でよっぽど悔しいことがあったんだと思う。多分。

4年生 学生コーチと出会う

そんなわけで4、5年生のときは全然勝てなかった。
試合に勝てなくなると、子供はコーチを信頼しなくなる。言うことを聞かなくなる。自分もそうだった。
当時のパパさんコーチは全然嫌いじゃなかったけど、この人たちに教わってても何も変わらないっていうのはなんとなく感じてた(クソ生意気)。

そんなときに出会ったのが学生コーチ。

どこかで整理して書くかもだけど、サッカーは「見る」「判断する」「プレーする」の連続。

「見る」は意識の問題であって、躾みたいなもの。
「見る」段階の失敗は、躾として刷り込んでいけば解決できる。

「プレーする」は技術の問題。
「プレーする」段階の失敗は、練習して技術を磨けば解決できる。

「判断する」の部分には基本的に「失敗」が存在しなくて、正解がたくさんある。
たくさんある正解の中からより良い正解を選ぶ作業。
コーチの仕事は、より良い正解そのものを提示することじゃなくて、より良い正解を導き出すための判断基準を示してあげること。それもできるだけいろんな角度から。
判断の部分に対して必要以上にコーチが働きかけること、つまりコーチの思う正解(≒価値観)を押し付けることは、選手の自由とか楽しみを奪うことになる。
(ここをわかってないコーチが意外と多いように感じる。。。)

この「判断する」の部分に対して適切なアプローチをしてくれたのが学生コーチだった。

3年生のときは土日しか練習が無かったんだけど、4年生からは水曜日も練習するようになった。
水曜は学生コーチが面倒見てくれて、4〜6年生までごちゃ混ぜでの練習。

上の学年と一緒にやると、パスもドリブルもシュートも、大抵のことはうまくいかないんだけど、うまくいかなくても「良いとこ見てるね!」とか「狙いは良い、面白い!」って学生コーチに言ってもらえるのが嬉しかった。
自分の思い描くサッカーそのものを肯定してもらえてる気がして嬉しかったし、やろうとしてること(=判断)は間違ってないって自信になった。
この自信を持てたことが大きくて、よりサッカーが楽しくなった。

技術とか戦術を教わった感はほとんど無いんだけど、サッカーの楽しさは間違いなくこの学生コーチから教わった。

「見る」「判断する」「プレーする」の3段階の中で、「判断する」の部分を肯定する(してもらう)こと。これこそがいわゆる「同じ絵を思い描く」「イメージを共有する」みたいなことなんだと思う。
ものすごく幸せで楽しい瞬間。サッカーの醍醐味。

ちなみにその先には、肯定してもらった「判断」を表現する段階、すなわち「プレーする」があって、これがなかなか一筋縄ではいかないんだけどね。

コーチへの憧れを抱き始めたのもこの頃から。
自分はプロにはなれないっていうのをなんとなく感じ始めてて、サッカー人生のゴールがわからなくなり始めてる中で、コーチっていう別のゴールが見え始めた感じ。
子供たちの思い描くサッカーを肯定することで、自分もサッカーの楽しさを伝えられる人になりたいって思った。
もちろんその子の中にあるものをただ肯定するだけじゃなくて、より良いサッカーを思い描けるようになるための手助けもコーチの仕事。
たくさんの判断基準を提示することだったり、「プレーする」の部分を補強してあげることだったり。

5年生 なぜか6年生の試合に呼ばれる

5年生の頃には、何度か6年生の試合にも呼んでもらった。
これは本当にありがたいことで、嬉しいことで、自信にもつながった。

当時5年生からは2人が常連組として6年生の試合に呼ばれていて、自分は3人目の5年生として呼ばれていた。
当時の6年生は市内でも強豪で、試合の熱量もかなり高め。選手同士で怒鳴り合いながらやってる感じで怖かった。
自分は5年生だったから、コーチも守ってくれてたし、あまり文句も言われなかったけど、6年生の試合に行く日は毎朝お腹が痛かった気がする。

常連組の5年生2人は慣れてる感じで堂々とやってたけど、自分はその2人より明らかに実力不足だってわかってたから、戸惑いもあった。
何で呼ばれてるんだろう、何を期待されてるんだろう、って。

この疑問に対する答えは約10年後、自分がコーチとしてこの少年団に戻ったときに明かされた。
当時のコーチに直接聞いてみた。
何であの時僕が呼ばれたんですか?って。いわゆる戦えない選手からすると、あの熱量は恐怖でしかなかったんですけどって。
笑いながら答えが返ってきた。
「おまえがファイターじゃないことぐらいわかってた。そもそも6年生と同じ熱量でのプレーなんか求めてない。呼んだ理由は、気が利く選手だったことと、プレーの選択が面白かったこと。この2つの個性を表現してくれればそれでOKと思ってた。期待には十分応えてくれてたよ」
ただただ嬉しかった。当時伝えてくれたら良かったのに、ってちょっと思ったけど、絶対調子に乗るから聞かなくて良かったと思った。

6年生 雲行きが怪しくなる

そんなこんなで学生コーチに自分のサッカーを肯定され、(当時はなんでかよくわかってないけど)上の学年の試合にも呼ばれ、それなりの自信と変なプライドを持ち、サッカーをより一層好きになり、6年生になった。

3人の選手が新たに加わった。
6年生の4月に新入団なんてなかなか無いんだけど、
・近隣の少年団が人数不足で解体。行き場を失った2人が入団。
・同じく近隣の少年団の実力者が、コーチと反りが合わず移籍する形で入団。
というちょっと特殊な理由で3人が入団。

この3人が見事にハマり、一気に強豪チームになった。
パパさんコーチ2人に加え、学生コーチ(例の「サッカーの楽しさを教えてくれた人」とは別の人)が加わったことも大きかったかな。
とはいえ6年生は新入団の3人を含めてやっと10人。試合の度に下の学年から3人借りていたので、台所事情は苦しかった。

この「チームが勝てるようになったこと」と「苦しい台所事情」が、自分の選手としての成長を遅らせることになった(無責任な表現になったけど、環境のせいにするつもりはまったく無いです)。

当時自分が置かれてた状況は、ポジション争いとか競争意識が無いままチームとしては結果が出てるっていうちょっと奇妙なもの。
努力する必要性が無くなってた、って言ったらいいのかな。
別に練習をサボったとかではないけど、確かに必死さとか強い向上心みたいなものは無かった。
多分6年生の1年間、チームの中で一番伸びなかった選手は自分だと思う。
珍しくちゃんと怪我(骨折)したりとかもあったんだけど、伸びなかった理由はそこじゃない。
少年団以外に外部のスクールにも通い始めたり、市内の選抜チームみたいなのに選ばれたりもして、完全に調子に乗ってたんだと思う。

サッカーは楽しかったんだけど、多分楽しさを履き違えてた時期。

チームが強かったこともあって、自分が伸びてないっていう自覚もあんまり無かったから、変なプライドと自信が先行してたんだと思う。
自分がコーチだったら絶対干すんだけど、人数が少なかったからか、試合にはちゃんと出れちゃってたのも良くなかった。

そんな奇妙な状態のまま、卒業が近づく。
中学はどうするの?サッカーは続けるの?続けるならどこでサッカーするの?ということを考える時期に差し掛かる。
自分と周りをうまくコントロールできないままふらふらと流れに身を任せたことで、大きな挫折を味わうことになる。

ということで、進路決めから挫折に至るまでの話はまた次回。

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