ヨーロッパ文化教養講座(「楽園のキャンバス」)
2022/9/2
「楽園のキャンバス」を完読した。原田マハの小説は、時間を上手く輪切りにして、冒頭からグイグイと読者を引きつける力がある。
二回目の大学1年生(既に、小生は49歳だった)の授業で、「文化を読み解くために」という講義があったのを思い出した。2007年度上期の講義のファイルを引っ張り出すと、その期末レポートの小生の表題は、
「文化を読み解くために(1)」
-ウンベルト・エーコ 「薔薇の名前」を読んで-とある。
007のショーン・コネリー主演で映画化もされ大ヒットした「薔薇の名前」は、原題は、「Il nome dellla rosa」まさに直訳の題名である。
ちょっと長いが一部引用すると、(自分で書いたので著作権は自分にあるから、安心して引用できる。)
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「薔薇の名前」は、全体のテクストをAすると、
作者(エーコ)の手記 1980年1月5日 A1
+アドソン師の手記 A2 (この中で、1327年の事件 A2-2 が述べられている)
つまり、A=A1+A2 A2⊃A2-2
ところが、作者は何かしらの意図を持ってさらに下記のように複雑化しました。
「J・マビヨン師の版に基づきフランス語に訳出せるメルクのアドソン師の手記」(1842年、パリ、ラ・スルス修道院印刷所刊)を作者が、1968年8月16日に手に入れます。この手記は、「1600年代の碩学が、メルクの僧院で発見した14世紀の手記を忠実に復元したもの」であるといい、作者自らイタリア語に訳出。 それからしばらく後に待ち合わせた人物(恋愛関係にあった女性を暗示)と悲惨に別れた際にこの手記は、悪意なく持ち去られてしまいました。 そこで手元に残ったのは、イタリア語に訳出したメモのみです。
つまり、源資料(14世紀のアドソン師の手記の原文 D2
1600年代の碩学が発見し、復元したもの D2->C2
1842年に、仏語訳が、ラ・スルス修道院で印刷され C2->B2
作者が、更にイタリア語に訳出したもの、B2->A2
ジュネットの物語の相で言えば、
物語言説は、Aで語り手は、作者エーコ
物語内容は、A2-2 (本来は、D2-2 であるべき)で語り手は、アドソン師(=アドソ 言語の違いによる発音の違い?)となります。
つまり、本来は、A1+D2をイタリア語訳したもの であるべきはずの物語は、アドソン師の手記A2の出所が極めて怪しいために、かえって、明確なフィクション化を避ける効果を生み出しているように思われます。
「視点」の観点から言えば、「内的固定焦点化」されており、語り手が私で物語る「等質物語世界」、「語りの水準」としては、「物語世界内」に、若き日のアドソン師の経験A2-2、と年老いたアドソン師が語るA2があり、エーコは、「物語世界外」に居て「メタ物語」Aとして書き起こした、「枠物語」であると言えましょう。
ただし、先ほどのD2->A2の効果で、物語世界の内外の距離が、心理的に隔離されていて真実の歴史なのかフィクションなのか、はっきりしないのも、エーコの実験の効果とも思われます。
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書いた本人も良くわからないような内容のレポートを15年前に書いたようだが、原田マハの小説を読むといつものように、このレポートを思い出すのは、多分、小説が典型的な枠物語風だからだろう。
物語世界外に作者 原田マハがいて、メタ物語A「楽園のキャンバス」を書いた。
第1章「パンドラの箱 2000年 倉敷」と 最終章「再会 2000年 ニューヨーク」が、A1
オリエ・ハヤカワとティム・ブラウンが、パリで鑑定対決をした第2章「夢1983年 ニューヨーク」 から 第10章「夢をみた 1983年 バーゼル」が、A2
A1の二つの章がA2をサンドイッチの様に挟んでいる、単純な構図。
だから、全体として読みやすいのだろう。
昨日から読み始めた、「翼を下さい」においては、
アチソン、 カンザス 2007年
アチソン、カンザス 1928年
ブルックリン、ニューヨーク 1933年
というように、章ごとに場所と時間が目まぐるしく移動するため、物語に没頭するのには、まだ時間がかかりそうだ。
「楽園のキャンバス」を日本映画にしたとして、オリエ・ハヤカワを誰が演じるかなと考えた。
やはり、ここは、知的で、美人で、フランス語ができて、となると、
中谷美紀以外は考えられない。
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