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ヨーロッパ文化教養講座(私の好きな映画「カビリアの夜」 )

2022/12/30 
昨日に引き続き、
フェデリコ・フェリーニ監督の「カビリアの夜」を
主演女優・妻である、ジュリエッタ・マシーナを軸として、視聴感想。

・「カビリアの夜」1957年 のジュリエッタ・マシーナ(公開時37歳)

まず、カップルの女が男に川に突き飛ばされハンドバックを奪われる。

この女は溺れかけるが、助けてくれた人にお礼も言わず、立ち去る。
ここで、この女が、カビリアという娼婦であることがわかります。

「道」のジェルソミーナと違い、カビリアは、娼婦ですから、口も達者で気も強いという性格が与えられました。

 生物学上、男性が、同時に複数の子孫を残せるように作られていることを考えると、娼婦という職業を始めたきっかけは様々あるとしても、こなせる女性は、不特定多数の男性を相手にできるわけですから、性格的に男性(ステレオタイプとしての)に近くなってくるという考えかもできます。
 この映画に出てくる娼婦仲間もみんな気が強くて、けんかっ早いキャラクターを与えられているようです。

 突き飛ばしたのは、ジョルジョという男(それも偽名)で4万リラ取られたことがわかりますが、カビリアは、家に帰っても「私が落ちたのでびっくりして逃げたんだ」と認めたくありません。
 親友のワンダ(この女性も豊満ですが)にだまされたんだよといわれるが、却って彼女にあたり、「体温計はもう貸さない」とだだをこねる。

 やっとだまされた現実を直視できるようになり、ジョルジョの写真や服を焼いてしまい、姿の見えない相手に対して、「こんちくしょう」と向こう向きで石を投げる姿がまたまた滑稽です。

 気持ちがむしゃくしゃしたまま、仕事場へ。(その後の話から、アッピア街道城壁のサン・セバスティアーノ門と推測されます)
 サンバを踊ってうさをはらそうとするが、ジョルジョの事でからかわれて大げんかになり、仲間にローマのメインストリート ヴェネト通りで落としてもらい、客を捜すが、とてもカビリアの器量では誰にも相手にされない。
 孤独のカビリアは、裏通りの、レストラン(?)のドアマンに笑みをかけるが彼にすら無視されるとすぐに悪態をつき憂さをはらそうとする。

 そこへ、人気俳優 アルベルト・ラツァリと遭遇。彼は、恋人のジェシーと大げんかをして、たまたまそこにいたカビリアを憂さ晴らしに高級車に乗せ、高級ナイトクラブへいく。
 ここでも、カビリアは、下女扱いしかされずに、悪態をつくが、ラツァリは歯牙にも掛けない。その後、ラツァリの豪邸へ連れて行かれ、見たこともないような部屋で、見たこともないような料理を振る舞われる。
 ここで、カビリアは、「あんたの映画は全部見た。ファンだ。と言ったが、彼の最新作の内容すらでたらめで、教養のなさを際だたせるような名演だと思います。

 ここで、急にジェシーが帰ってきてしまい、風呂場に隠れる。
鍵穴から中をのぞくと、二人がけんかをしているときの、やれやれという幸せそうな表情が、仲直りをはじめて本当に寂しそうに変わります。
相手にしてくれるのは、風呂場にいた子犬だけです。

 次の朝、ジェシーが寝ているすきに、風呂場を抜け出します。
窓ガラスにぶつかったり、出ていくとき服装と靴を履きながらの後ろ姿などは、まさに、チャップリン映画を彷彿させます。

 道に迷った、カビリアは、郊外の洞穴住まいをする人々に施しをする、ボランティア男性に出会います。 
 洞窟住まいの人の中には、カビリアも知っている、昔は大金持ちだった、老婆が出てきます。 ここで初めて、カビリアの本名が「マリア・チェカレッリ」だとわかります。そのボランティア男性に、何か言いかけますが、言えません。自分は、このままの生活でいいのかという率直な疑問を聞こうとしたのかもしれません。
 これが、伏線になって、次に仕事仲間と共に「神の愛」(カトリック系新興宗教?)の巡礼集会に出かけます。聖母マリアに「生活を変えたい」と願いします。

でも、仕事仲間を含む自分の環境を変えることができないと思い、巡礼にも悪態をついたあげく、一人で飛び出してしまいます。 

 その夜ぶらりと入った劇場で、奇術師に催眠術をかけられてしまいます。奇術師は、夢の中で、カビリアの理想の恋人オスカーを登場させ、彼女が、お金があること、純愛を求めていることを観客にばらしてしまいます。
 自分が、催眠中に何か変なことをいったのではと、穴に入りたい心境を、恥じらいではなく、怒りで表現します。
 これを見ていた、誠実そうな青年ドイフリオから声をかけられ、プロポーズされ有頂天になり、家を売り払い、貯金を引き出して75リラを持って、新婚旅行へ。

大半の観客は、湖畔のレストランで、ドイフリオの態度を見た瞬間に、カビリアが、まただまされたという事を知るのですが、カビリアはまだ気づきません。

林の中へ誘い込まれ、頭の中では、理想の恋人オスカーとマリアになりきってしまいます。

 夕日を見ようと湖の岸に誘われたが、ドイフリオの悲しそうな顔を見て、ジョルジョに突き落とされた事を話し始めるうちに、だまされたと気がつく時の見事な表情・態度の変化。
 まさかまさかと思いつつ、現実を突きつけられ、「殺してくれ」と詰め寄るときには、可哀想で涙を誘います。

 しばらくして、気を取り直し、手ぶらで来た道を引き返しますが、陽気な音楽と幸福な若者に混じっていくうちに、何かふっきれた様に、表情が明るくなってエンディングを迎えます。

 カビリアは、他の商売仲間と違って、今の生活を変えたいという向上心があり、その為、器量が悪いのにもかかわらず、こつこつとお金をためて、家を持つこともできました。
 今後も彼女は、子供のころから、娼婦以外はしたことがないので、また元の仕事に戻るとは思います。男に二回もだまされたのは、彼女が善良だということは勿論ですが、孤独だという事の方が大きいと思います。

 今後彼女がどのような生活を送るのか、今までの経験をしっかりと学習して、男にだまされることもなく、自立した生活がおくれるのでしょうか。       それは、現実問題は、難しいでしょう。 多分、今まで同様男にだまされながら、変わらなく生きていく可能性が高いのでしょう。 

でも、残酷に年は取っていきます。 この仕事は、若いうちしかできません。 年を取って、ホームレスになり、洞穴生活になり、あの老婆の様に、ボランティアから、施しを受けて生きていくのでしょうか? 

一見救いの無い物語に感じられます。

でも、人は努力をしたからと言って幸せになれるわけではありません。
お金や名声があったからといって、幸せになれるわけではありません。
カビリアは、生きることに前向きになれる精神があります。
きっと神さまの目に留まることができるのだと、信じて、この映画を見れば、カビリアの幸せな未来も希望できると思いました。

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