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ヨーロッパ文化教養講座(「エンター・ザ・ミュージック ブラームス交響曲第4番 後編)

2023/09/16
第4番は、ブラームスが51,52歳のとき(1884年~1885年)に書かれた最後の交響曲。
今日放送された後編は、3楽章、4楽章の解説。

3楽章は、1,2,4と違って、「お祭り騒ぎ」の楽章(藤岡マエストロ)
真面目で暗い(と言われている)ブラームスらしくない、はしゃぎっぷりで、ブラームスは本当は明るい人だったのかもしれないとのこと。
3楽章には、トライアングルの音が鳴り響くのが印象的だが、初演のときは、19歳だった、リヒャルト・シュトラウスがトライアングル担当だったそうだ。
時代は、もう、後期ロマン派の時代だなと再認識した。

4楽章を新井鴎子さんが解説した。
1.形式はバロック時代のシャコンヌ形式
シャコンヌとは、主題を繰り返し、その上に変奏曲を載せる方式だそうだ。
4楽章は、出だしの主題が、「ミー ファー# ソー ラー ラー# シー (オクターブ下の)シー ミー」という旋律だが、これを30回変奏させる。

*この旋律も、バッハのカンタータ150番の終曲 Meine Tage in dem Leide「わが苦しみの日々を」から取られているそうだ。

通常の変奏曲は、第1変奏、第2変奏と区切りがあり、盛り上がりに欠けることが多い(小生のこの理由であまり変奏曲は好きではない)が、この曲に関しては、各変奏が有機的に組み合わされ盛り上がり、情熱的な楽章となった。ブラームスの交響曲で1番小生が好きな楽章もこの第4楽章である。

2.フィナーレは、指揮者としては、テンポを速くしたくなるが、あまり速くすると、弦楽器の刻みが追い付かない。遅すぎず、速すぎず指揮棒を振ることにいつも葛藤があると、藤岡マエストロは述べていた。

3.この曲のエピソードとして、ブラームスがハンブルクでこの曲の指揮をした次の週に、ブラームスのことをあまりよく言っていなかった、チャイコフスキーがこちらも名曲の第5番を同じ会場で指揮した。

ブラームスは、チャイコフスキーが自分のことをよく言っていなかったことは良く知っていたが、第5番を聴くために、ハンブルクに残った。
終演後、チャイコフスキーの第5番を褒めたところ、チャイコフスキーは、とてもよろこんで、その日は2人で飲みに行き、仲良くなったそうだ。


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