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色彩の再現と審美的基準の統一的理解を目指して(10/10) おわりに

 分け入っても分け入っても青い山
 放浪の俳人・種田山頭火は人生の不条理・困難性をこの句に込めたように感じます。生まれを選ぶことはできず、何かを得ようと精一杯足掻いてもその力はちっぽけです。色彩現象の難解さを前に突きつけられる非力感にもどこか相通ずるものがある気がします。しかし色彩現象の究明は時空を超えたちっぽけな力の蓄積によって成し遂げられてきました。地道な観察と実験、ときに天才的な着想が脈々と受け継がれて現代までつながっています。おそらくひとりの人間がなんの参照もなく踏破することは不可能な道のりであり、巨人の肩に立つことなくして段階説の結実はあり得なかったでしょう。産業分野への応用もまた然りです。
 本連載は光の三原色RGBと色材の三原色CMYを前提知識とし、三色説と反対色説、そして段階説を交えて考察することで、色彩を捉えるための思考の立脚点ができるだけ明確になるよう記述したつもりです。前節『色彩の再現と審美的基準』で行ったのは、思考の立脚点を意識的に切り替えることが色彩の利用にあたって役立つだろうという提案です。色彩科学に関して勉強を進める中で、この話題がいまいち表立って説明されていないように感じられ、ずっと引っ掛かっていました。浅はかにも自分で書いてしまえば胸のつっかえが取れるはずだと考えて執筆を始めた次第です。想像以上にしんどい作業となり、貴重な体験となりました。内容的には素人考えの着眼点を発展させたものなので、自明の理をことさら強調しすぎであるとの指摘があるかもしれませんし、あわよくば同じような疑問を持っている方の役に立つかもしれません。成功か失敗かの判断は読者の皆さんに委ねるしかありませんが、少しでも誰かのお役に立てることを願っています。

 色彩現象を考えるにあたっての個人的に外せない論点はひと通り本文の中へ落とし込むことができました。しかし色彩にまつわるすべてを白日の下にさらすことができたわけではありません。全体は途方もなく広大で、本連載ではほんの一部を垣間見たに過ぎません。
 これまでの考察を通して、色彩が物理的な実体を持つ光と人間の視覚組織が巡り合うことで生じる認知機能の一部であるという理解を、根拠のない絵空事だと見做すことはなくなったと思います。そしてこの理解は、認知機能全体の中で色彩が他の要素と関係しまた影響しあって成立している仕組みを想起させます。考えてみれば、人間は視覚から色彩以外にも空間、形態、あるいは物質的なものを超えて多種多様な要素を読み取っています。遠近感から自分と他者の相対位置を、表情から他者の感情を。さらには社会の中で生き、歴史の中に立つ存在として色彩に対して文化的な意味さえも見いだします。あなたなら冒頭に引用した句の「青い」に対してどのような解釈を与えますか?それはいくつありますか?あなたと故郷を異にする国内外の友人とどの程度共通しているでしょうか?
 色彩に関わる事柄を探究することは、最終的にはこれらの関係性まで含めて考察することにつながります。光の物理的特性から人間の心理的反応まであらゆる領域が対象になると言っても過言ではありません。途方もなく広大といういささか誇張した表現もあながち外れてはいない気がします。
 本連載で行った考察を縦糸に、世界に溢れる色彩現象を横糸として考察の対象を拡張し、互いに接続しあうことができれば興味深い読み物になりそうです。しかし私にその荷は重すぎます。欲を出して厳密性を求めた挙句に破綻するでしょう。数学的記述を取り入れざるを得ないにもかかわらず、いまのところその力量は持ち合わせていません。もう少し自由な観点で色彩を眺め、文化的表象から好き勝手読み取っていきたいと思います。

 最後に、もしかしたら色彩についてもっと詳しく知りたいと考えるに至った殊勝な方がいるかもしれません。頭の片隅にあれば役に立つかもしれない項目を列挙しておきますので、参考文献と併せて探ってみてください。
 光の物理的性質(特に幾何的条件・分光的条件)
 人間の身体的構造・視覚器官の性質
 色覚特性
 錯視・錯覚
 同時対比
 面積効果
 表色系・色彩調和理論(特にPCCS・NOCS(注7))
 歴史・文化背景
 言語感覚

 人間の思考は言葉と分かち難く結びついています。
 ある言語体系の中に視覚情報である色彩がどのような区分をもって組み込まれているかは、その言語が育まれてきた文化が持つ認識の様相をこの上なく反映しています。若山牧水が遺した次の短歌を詠んで美しいと感じるとき、(良くも悪くも)自分が日本語を母語とし日本文化に浸って生きてきたことを痛感せずにはいられません。
 うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花

(注7)PCCSは連載中にも言及した日本色研配色体系(Practical Color Co-ordinate System)です。Wikipedia英語版を見る限り世界的に普及しているとは言い難い状況ですが、紛れもなく日本が誇る色彩研究の成果です。人間の色彩感覚を表色系の基礎とし、配色に関する理論と実践が見事に折り合っています。現在のPCCSを改訂した「詳細PCCS」なるものが開発されているとのことなので、書籍(英語版も)などで広く世界に普及が進むことを期待しています。
 NOCSはPCCSを基に株式会社中川ケミカルが開発した表色系(Nakagawa Original Color System)です。公開情報をあまり追えておらず誤解しているかもしれませんが、「数理計算で色相・トーン系列が生成できる」こと、「NOCSと代表的な表色系の定義値を相互変換できる」ことに魅力を感じます。変換相手にXYZ表色系・L*a*b*表色系が含まれていて拡張性も確保されています。高度情報社会にあって、電脳空間と実体世界の間で色彩を正確に架橋する道具として世界標準になる可能性を秘めています。


主要参考文献(順不同)
 色彩学の基礎 山中俊夫 文化書房博文社(1997)
 色の科学 金子隆芳 朝倉書店(1995)
 色彩学概説 千々岩英彰 東京大学出版会(2001)
 色の百科事典 日本色彩研究所編 丸善(2005)
 色彩検定公式テキスト1級編(2009年改訂版) 色彩検定協会監修 A・F・T企画(2009)
 Color-Sample.com(Orange:https://www.color-sample.com/colors/530
 シーシーエス株式会社(光と色の話:https://www.ccs-inc.co.jp/guide/colu
mn/light_color/

 Wikipedia日本語版(視覚:https://ja.wikipedia.org/wiki/視覚
 Wikipedia日本語版(CIE1931色空間:https://ja.wikipedia.org/wiki/CIE_1931_色空間
 ノラの絵画の時間(色彩について:http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/
1008291716.html

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