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色彩の再現と審美的基準の統一的理解を目指して(5/10) 2つの色覚理論 三色説と反対色説①

 光の三原色と色材の三原色について、網膜の機能と併せて個別の性質と特徴、分離と相補性を説明してきました。恣意的なサンプル選択を行いましたが、おおよその言いたいことは論理的整合性を保ちながら示すことができたと思っています。不満を持たれる方がいらっしゃるかもしれませんが、現実の複雑さ(注1)を回避し説明を単純化するためにとった手段であるとご理解いただければ幸いです。
 結構納まり良くできたと思っていますが、ここで終わらない(終われない)のが色彩現象の難解さです。
 ここまで辛抱強く読んでいただいた方の中に、説明に一定の整合性があるように見えても、その中にまだ大きな疑問点が隠されていると見抜いた、あるいは少なからず違和感を覚えたという方がいるかもしれません。まさしくその通りで、ある箇所で説明不足とそれに伴う大きな飛躍が起こっています。これは冒頭で触れた説明の単純化を理由に逃れられるものではありません。個人的には色彩科学の分野において100年以上も論争が続けられる原因となった隔たりそのものだと感じています。この隔たりを超人的跳躍で飛び越えず、科学的思考過程をもって誰もが渡りきれる橋をかけようと多くの先人たちが生涯をかけて思索と実験を重ねてきました。2021年の現在も多くの研究者と技術者たちによる補強工事中と言って差し支えないでしょう。その骨格部分に少しでも近づくことができればと思います。

 問題の箇所は『分離と相補性①』において「RGBとCMYの相補性」を説明するくだりにあります。
 「光の三原色RGBによる加法混色を言い換えれば、光源から発せられた光そのものの混ぜ合わせを見る(眼で感じる)ことです。
  ・光源から発せられたR+Gを見ると、その長・中波長成分によって
   L錐体+M錐体が反応し、Yとして知覚されます。
  ・光源から発せられたG+Bを見ると、その中・短波長成分によって
   M錐体+S錐体が反応し、Cとして知覚されます。
  ・光源から発せられたR+Bを見ると、その長・短波長成分によって
   L錐体+S錐体が反応し、Mとして知覚されます。」
 このように記述しました。光の三原色RGBからCMYの知覚が生じる過程を描いています。しかし2つの色光に対して2種類の錐体(L錐体+M錐体・M錐体+S錐体・L錐体+S錐体)が反応することは分かっても、その結果生じる色知覚がY(黄)・C(シアン)・M(マゼンタ)だという説明は、この知覚が現実に起こる現象だとしても少々唐突なように感じます。引用箇所に続いて記述した、色材の三原色CMYからRGBの知覚が生じる過程は、結果としてR・G・Bの各成分が単独で反射され網膜で捉えられることとみなせるので、錐体の機能・性質を知っていれば極めて論理的です。それに比べるとなんともいわく言い難い説明不足があるように感じざるを得ません。
 私たちが橋を必要とする場所に着きました。どうすれば前へ進むことができるでしょうか。

 目の前にある広大な溝を眺めると、一足飛びに越えるには距離がありすぎるように感じます。そんな時はいったん後ろを振り返ってみる価値があるはずです。
 ということでこれまでの説明で私が拠り所としてきた三色説なるものについて考えてみたいと思います。
 この学説は人間の色知覚がRGB(赤緑青)の3色を最少構成要素にして成り立っていると主張します。先人の名を冠してヤング-ヘルムホルツ三色説(Thomas Young,1773-1829、Hermann von Helmholtz,1821-94)とも呼ばれ、グラスマン(Hermann Gunther Grassmann,1809-99)の法則において簡潔な論理体系を支える理論的枠組みです。写真や映像制作でも馴染み深いXYZ表色系(色域の大小を比較するためによくxy色度図が使われていますね)も、発想の源はこの三色説です。
 三色説が提唱されたのち、人間の網膜に3種類の錐体(L・M・S)が存在することが確認され、それぞれが主として赤・緑・青に対応する波長域を感じとるよう機能していると解明されてきました。以前の説明がその簡単な紹介です。実験事実との整合性、現象の論理的説明それぞれに多くの人が納得できるだけの妥当性があると認められています。三色説の正しさが支持される重要な要素です。
 さきほどグラスマンの法則に触れました。次にそのエッセンスを見てみましょう。加法混色の法則性が3つ(細かく見れば4つ)にまとめられています。この簡潔さから卓越性とある種の限界が見えてきます。

(5:10)三色説と反対色説①_1

 定義中の「独立した3つの色刺激」はRGB(赤緑青)のことを言っています。この3色は「ほかの2色を混色しても作ることができない」ため原色であり、混ぜ合わせる比率を変化させることで人間が知覚するすべての色を作り出せると。三色説の主張そのものです。

(5:10)三色説と反対色説①_2

 光源から出力される光の強さに応じて知覚結果も連続的に変化すると言っています。例えばGB(緑と青)の量を変えずにR(赤)だけを強くすれば、混色結果も赤みが増すような変化をするということです。逆もまた然り。

(5:10)三色説と反対色説①_3

 想像しづらいので具体的な例を当てはめてみます。

(5:10)三色説と反対色説①_4

 どうでしょうか。第一・第二法則はそれほど違和感なく受け入れられると思います。対して第三法則はなんだか腑に落ちない気がしませんか?具体例を示したことで等価性’も加法性’もなおさら違和感が増してしまったように感じます。現実に起こる現象を正しく記述していますが、特に「赤と緑の混色が黄と等しい(等価である)」という主張は、赤と緑からまったく異なる色である黄が知覚されるとさらりと言ってのけています。
 この一見不可思議に思える現象と『分離と相補性①』から引用した箇所がつながっています。
 引用箇所は加法混色においてR+G=Y、G+B=C、R+B=Mとなる事実の記述です。主に反応する錐体の組み合わせも記述の通りです。このうち「R+G=Y」が色の等価性の具体例(等価性’)で示した「R+GとYは等価である」と同じ主張を表しています。繰り返しになりますが、等号の前後でまったく異なる色(赤+緑=黄)が現れています。残る2式G+B=C、R+B=Mが示す結果はまだなんとか納得できる余地があるように思われる(緑と青を足して青系のシアン、赤と青を足して赤系のマゼンタ)のと比べて、R+G=Yについてはその原因を掘り下げる説明が行われていいように思います。等号で結ぶ色が感覚的にあまりにもかけ離れています。
 しかし(グラスマンの法則に限らず)三色説の枠内ではその説明は行われません。なぜ説明しないのか。おそらく「理論の中から導かれる答えではなくて、理論の外にある実験によって与えられる前提だから」です。実験で観察される事実を前提とし、現象を矛盾なく説明できるんだからいいじゃないか。こういう認識なのかもしれません。
 良くも悪くもここが三色説に基づいた人間の色知覚に関する説明の限界です。良い側面から捉えれば実験事実を矛盾なく説明できる論理体系であるし、反対に悪く捉えれば理論の前提となる事実の原因を説明できていません。前者で良しとすれば理論の支持者、後者の立場をとれば論敵となるでしょう。

(注1)すなわち、色材の三原色CMYを1:1:1で混ぜ合わせてもはっきりとした黒にはならない(ごく暗い濁った茶色になる)残酷な現実です。定義的には「黒=すべての光を吸収する(まったく光を発しない)状態」ですが、感覚的にもそれが実在しないだろうというのは想像に難くありません。プロセス印刷の原版が、三原色CMYの各版とともに、まさしく黒を担うK版(Key Plate)で構成されているのはまさにこの理由に起因しています。説明のサンプルとしたJapan標準紙規定の橙色=CMY(0,0.457,0.91)は、CとともにKの量もゼロと定められているため採用しました。
 また『分離と相補性②』の結論部において、加法混色と減法混色で表現される「目的と結果が(ほぼ)同じ」であると微妙に許容範囲を匂わせたのも、理想的な光源や反射特性を備えた色材を作り出すことが現実にはなかなか困難だからです。

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