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色彩の再現と審美的基準の統一的理解を目指して(2/10) 2つの三原色 RGBとCMY

 映像や写真に親しむ方にとって「三原色」という概念は、もはや深く考える対象ですらないほど当たり前の存在かもしれません。いうまでもなく、「赤・緑・青」(RGB)と「シアン・マゼンタ・イエロー」(CMY)の2つの組み合わせそれぞれを三原色と呼んでいます。
 しかし色彩科学に魅了された(足を絡めとられた)当時、なぜ2種類あるのか理解できませんでした。「原色」というからには1組じゃないのか?どうしてこの2組に別れるのか?理解を深めようと色彩科学をかじってみれば、三原色とともに種々様々な説明が出てきてかえって混乱が深まるばかり。その配色調和理論って三原色の説明と整合性とれてなくないですか?文句のひとつも付けたくなるほど見通しを立てることが困難でした。
 この混乱をなんとか整理したい。モヤモヤを解消したい。自分にとって色彩科学に向かうモチベーションとなったのはこの素朴な好奇心です。三原色をいかに理解するか、そしてそれは色覚理論の理解と配色調和に代表される審美的基準とどのように整合性を保って接続されるのか。連載タイトルに込めた意味を徐々に明らかにできればと思います。

 まずは「赤・緑・青」から見てみましょう。
 この3色は「光の三原色」と言われます。英語(Red・Green・Blue)の頭文字をとってRGBと略されているのが一般的です。
 なぜ「光の」なのか?ここが重要なポイントで、自ら発光する物体から発せられた光を人間が見たときに感じる色は、最終的にこの赤・緑・青に分解することができます。言い換えれば、人間が知覚できるあらゆる色は(理論上では)赤・緑・青の3色の光の混合によって作り出すことができるわけです。したがってこの3色を三原色、それも光を混ぜるので「光の三原色」と呼びます。
 さらに、光を混ぜる=重ね合わせることなので、出来上がる新しい色は重なったぶんどんどん明るくなっていきます。そこからこの光の三原色の混ぜ合わせ方を「加法混色」と呼び習わしています。ちなみに赤・緑・青の光を1:1:1で混ぜ合わせたとき、それを見て人間が感じる色は白(無色透明)です。
 いま皆さんがこの記事を読まれているPCあるいはスマホのディスプレイは、この原理を活用した代表格です。
 
 次にシアン・マゼンタ・イエローです。
 この3色は「色材の三原色」と言われます。英語(Cyan・Magenta・Yellow)の頭文字をとってCMYと略されます。
 なぜ「色材の」なのか?こちらもここが重要なポイントで、自ら発光するのではない(=発光しない)物体から反射(あるいは透過)された光を人間が見たときに感じる色は、最終的にこの3色に分解することができるのです。言い換えれば、人間が知覚できるあらゆる色は(理論上では)シアン・マゼンタ・イエローの3色の物質の混合によって作り出すことができるわけです。したがってこの3色を三原色、それも物質を混ぜるので「色材の三原色」と呼んで光の三原色と区別します。
 さらに、物質を混ぜる=吸収される光の量が増える=反射(透過)されて人間の目に届く光が少なくなるので、出来上がる新しい色は混ざったぶんどんどん暗くなっていきます。そこからこの色材の三原色の混ぜ合わせ方を「減法混色」と呼びます。ちなみにシアン・マゼンタ・イエローの物質(絵具をイメージしてください)を1:1:1で混ぜ合わせたとき、それを見て人間が感じる色は黒です。
 デジカメ写真を自宅でプリントされる方もいらっしゃると思いますが、そのカラープリンタはこの原理を活用した代表格です。

 それぞれの説明は概ね納得できるものだと思います。
 しかしモヤっと感すごいあるんだけどという方もいるでしょう。私はモヤモヤしていました。こんな疑問が浮かびます。
 「光をそのまま見た場合と反射(透過)した光を見た場合に、同じ人間が知覚する色がなぜそれぞれ別な原色(原理)によって作り出される(説明される)のか?」
 今節で行った各三原色の説明ではこの疑問に正面立って解を与えることができません。おそらく三原色に対する理解、ひいては色彩現象の理解にとって重要な論点であるはずですが、なぜか明確に解説している書籍その他が無いに等しい。
 もしかして取り立てて書くことでもないほど当たり前なやつなの?という不安を抱きながら、次節はこの点について考えたいと思います。

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