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色彩の再現と審美的基準の統一的理解を目指して(9/10) 色彩の再現と審美的基準

 色彩にまつわる理解を深めるために2つの三原色、2つの色覚理論、段階説を考察してきました。光に対して人間の視覚系がどのように作用し色知覚が生じているのか、全体像を理解するうえで重要になる論点をできるだけ明確にしながら記述したつもりです。
 ただ全体像を把握していただけたとして、ここで終わってしまったらそれはつまらない。「この理解が何の役に立つのか?」、「この理解をどのように活用すればいいのか?」が議論されるべきだと思います。本節でその試みに挑みましょう。

 『RGBとCMY』から『分離と相補性②』までの3節で2つの三原色について考察しました。その議論を通して「光の三原色」RGBと「色材の三原色」CMYが原色の地位を占める理由が示されたと思います。しかし、ここで得られた知見はいわば魚を三枚におろす過程の詳説であって、食卓に並べる美味しい刺身とするためには、あと少し角度をずらした切り口によって捉え直す必要があります。 
 人間の身体的な生理反応の解明と物理工学・物質科学が蓄積してきた(今もしている)成果を前提として、2つの三原色を「人間の視覚系を刺激し(色知覚を生じさせる=)色彩を再現するための装置(道具)」と捉えること。人間に任意の色彩を知覚させたいと企てたとき、その目的を達成するために必要となる装置(道具)の最少要素が「光の」RGBまたは「色材の」CMYであると。これは思考の立脚点を加法混色・減法混色という「方法」に置くことに他なりません。
 どちらを使用するかの分岐点は「発光による再現か、反射(透過)による再現か」です。発光によって再現を試みるのであればRGBを、光の反射(透過)・吸収によって再現を試みるのであればCMYを用いることになります。PCディスプレイがRGBによって、プリンタがCMYによって色彩の再現(表示)を行なっているのはその主要な応用例です。
 「光の」RGBと「色材の」CMYが分岐せざるを得ない理由もまた「発光か、反射(透過)か」に存在します。LED(発光ダイオード)などの発光現象を利用すれば、素材が発する光そのものを観察者の眼へ到達させ、その光によってL・M・S錐体の反応を生起させることができます。これはつまりL・M・S錐体の特性に沿う光を利用し制御すれば良いということであり、その条件に合致する光がRGBなのです。
 一方で、インキなどの物質は基本的に自ら発光することはありません。インキが色を帯びて感じられるのは、その表面で照明光の反射と吸収が起こり、照明光の中に含まれる分光成分のうち反射された一部の光が観察者の眼に到達することによってです。したがって、自ら発光しない物質を用いて色彩を再現する試みは、物質による照明光の反射と吸収を利用することで達成されます。ただしこの場合であっても観察者のL・M・S錐体を刺激することが必要であること、そのために必要な光がRGBであることは人間の身体構造上変えることができません。そこで数ある物質の中から「反射と吸収の結果として光のRGBを観察者の眼に到達させることが可能なもの」を探しだす需要が生まれます。その探求の終着点として辿り着いたのが「色材の」CMYなのです。『分離と相補性①』・『分離と相補性②』で触れたように、「CがRを吸収・B+Gを反射する」「MがGを吸収・R+Bを反射する」「YがBを吸収・R+Gを反射する」性質を利用して、観察者の眼に届ける「光の」RGBを調整することで、「色材の」CMYによって色彩の再現を実現しています。

 続いて『三色説と反対色説①』から『段階説②』の4節にわたって人間が色を認識する仕組みを概観しました。視細胞(錐体・桿体)が光から受けた刺激を神経信号に変換する反応から始まり、神経節細胞を通過する過程で反対色情報へと変換整理され、最終的に脳で色として感覚されます。現在は三色説と反対色説の主張が段階説としてまとめ上げられ、人間の色知覚を理解する標準理論と考えられています。
 しかし理解の幅が広がったかに思えても、はたと厄介な状況にでくわします。本節で主張したように2つの三原色を加法混色・減法混色という確立された方法として捉え、色彩の再現に活かせば活かすほど、過去の論争に引き戻されるような問いを発したくなるのです。
 「2つの三原色で色彩が再現でき、三色説で説明がつくのであれば、反対色説さらには段階説を考えることは不要なのではないか?」
 メフィストフェレスの提案かと思える魅力的な問いかけです。長ったらしく並べた4節分の御託をすぱっと一刀両断された気分になりますね。肯定的に受け取れば2つの三原色が色彩の再現にとって強力な手段であるがゆえに見えてくる景色だと言えるでしょう。
 とは言え「はい不要です。」と素直に聞き入れることはできません。この問いが許されるのは消費者として制作物の美しさを享受する立場にいるときだけです。制作者として色彩を扱う立場にあるときは次の重要な前提を2つ念頭に置きながら退ける必要があります。
 Ⅰ. 最終的に色彩の認知が起こるのは人間の脳内である。
 Ⅱ.人間の視覚系は、神経節細胞以降、脳を含めて反対色説に適合する振る
    舞いをする。
 2つの三原色で色彩の再現が可能なのは、三色説的な視細胞(錐体・桿体)の反応と脳での色知覚を巧妙に対応付けて利用する方法として確立されているからです。しかしその色彩を感じるに至る人間の生理反応は三色説→反対色説に沿った処理から逃れられず、人間の脳に備わる色彩空間の全体像は反対色説に親和的な構成をしています。そして人間は否応なくこの生得的な色彩空間の中で主観的な評価を行わざるを得ないのです。2つの前提はその限界を意識するための楔です。
 2つの三原色を最大限活用しつつ、同時に色知覚の変えがたい仕組みと限界へ絶えず目配せを怠らない。この困難な取組みによって、複雑な色彩現象を効果的に活用する統一的な向き合いかたが見出されます。
 まずは抽象化した汎用的な描写によって概観しましょう。
 色彩を「再現する」という面から考えれば、「光の」RGBと「色材の」CMYを利用することで目的が達成されます。また再現された色彩を「認識する」という面から考えれば、観察者の色知覚は「RGBY+明暗」によって把握されます。ということは、色彩を再現するという目的は2つの三原色RGB・CMYによって達成されるけれども、再現された結果としての色彩を主観的に評価する基準は「RGBY+明暗」なのだから、色彩を用いた表現を行う際の審美的な基準とすべきは「RGBY+明暗」なのです。つまり、色彩の再現は2つの三原色で行う一方で、再現される結果を考慮する基準は「RGBY+明暗」であると。
 具体的な例で考えるとより明確に把握できるかもしれません。
 最終的にPCディスプレイに出力される色彩は「光の」RGBによって再現されますが、それを観察する人間は「RGBY+明暗」を基準に解釈します。また印刷によって作り出される色彩は「色材の」CMYによって「光の」RGBを巧みに調整することで再現されますが、それを観察する人間は「RGBY+明暗」を基準に解釈します。したがって、「光の」RGBと「色材の」CMYで再現された(結果としての)色彩に対峙したとき、観察者が基準とするのは「RGBY+明暗」なのだから、色彩を利用し制作に活かす際の基準とすべきは「RGBY+明暗」なのです。

 色彩現象にまつわる要素を個別に理解し、またそれらの接続関係を整理することは悪魔のささやきに惑わされない強さとなるはずです。

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