自然淘汰か自然選択か

どうでもいいことのように思うが、Natural selectionの訳語をめぐって、議論がある。自然淘汰か自然選択かである。
 

自然淘汰派


垂水雄二(2009)は「明治以降ほとんどの人が「自然淘汰」と訳してきた。ところが、「淘汰」の字が1981年に告示された常用漢字に含まれなかったために、自然選択への言い換えが推奨されることになった」としている。そして、淘汰には悪いものをふるい落すという意味しかもたないのでない。「もともと「淘」は水で洗う、「汰」は水が濁るという意味で、、諸橋轍次の『大漢和辞典』でも、淘汰の意味は、一が「洗い清める。洗って選り分ける。精選する」、二が「すぐる。悪しきを去り、良きを取る」とある。」また、ダーウィンは「natural sselectionに、有利なものを選び出す場合と劣ったものを除く場合があることをはっきり述べており」、淘汰こそがふさわしい。「選択という訳語には良いものを選ぶ場合にしか適合しないから適切ではない。」
 
渡辺政隆(2009)は、「『種の起源』におけるキーワードのひとつであるナチュラル・セレクションの訳語については,「自然選択」ではなく,あえて「自然淘汰」を採用した。これは訳者の好みもあるが,生物の変異個体を篩にかけるという意味を強調したいという意図がある。そして選び取るという意味の「選択」については,随時「選抜」の語をあてた。これには,人為選抜とのアナロジーから自然淘汰を説くダーウィンの戦略を尊重する意味がある。」
 
池田博明(2015)は次のように書いている。
「Natural Selectionを「自然選択」と翻訳すると中立的な意味合いが強くなる。それよりも「自然淘汰」と翻訳するほうがより実態を正しく表すものと判断して、ここでは「自然淘汰」という正の自然選択を感じさせる訳語を用いている。人為選択Artificial Selectionという用語についても同様の理由から、渡辺政隆の訳に従って「人為選抜」を用いている。」
 
長谷川眞理子(2016)は、”selection”を「選択」と訳すと,意味の異なる”choice”(例:mate choice=配偶者選択) との訳し分けができず,使い方によっては文意が不明瞭となる。として,”selection”には「淘汰」を、 ”choice”には「選択」をあてることにした。
 

自然選択派


松永俊男(2009)は、
日本語の用法では,「淘汰」はもっぱら「悪いものを捨てる」意味で用いられ,「選択」は通常,「良いものを取る」意味で用いられている。〔…〕ダーウィンが1844年に執筆した学説の概要では,環境が変化したときにさまざまな変異体が生じ,そのうち新しい環境に最も適応したものが神によって選択され,子孫を残すとされる。人間による動植物の品種改良では,人間の目的にかなう変異体が選択され子孫を残すように,自然界では神の見えざる手によって環境に適応した変異体が選ばれる,というのである。「セレクション」は明らかに,「良いものを取る」意味である。〔…〕ダーウィンの意図を伝えるのであれば,訳語としては「自然選択」を用いるべきである。
 
長谷川政美(2020)はダーウィンの種の起原に記された唯一の図である変種の分岐図を紹介した段落で、次のように書いている。
Natural selectionは「自然淘汰」と訳されることもあるが、「淘汰」には「ふるい落す」という意味が強調されており、ここではむしろ「選ばれて残る」ことを強調して「自然選択」としておく。
 
実は、ダーウィンの著作の題名の訳語についても、種の起源か種の起原かという議論がある(瀬戸口烈司・木島泰三 2012)。
 

引用文献


長谷川政美(2021) 進化38億年の偶然と必然.国書刊行会
長谷川眞理子(2016) ダーウィン『人間の進化と性淘汰』凡例.講談社
池田博明(2015) ダーウィンフィンチの自然淘汰.遺伝69, 133-141
松永俊男(2009) 日本におけるダーウィン理解の誤り.現代思想37(5),48-52
瀬戸口烈司・木島泰三(2012)「種の起原」か「種の起源」か.深田地質研究所年報 13, 1-11
垂水雄二(2009) 悩ましい翻訳語.八坂書房

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?