生存闘争について

19世紀に生存闘争Struggle for existenceという言葉が流行した。生存競争と訳される場合もある。

この語の書かれた記録としては1790年のベンサムの書籍に登場する(Wikipedia)。

マルサスは「人口論」の第3章で、放牧民における人口増加が、土地を荒廃させたことに触れて次のように書いている。「そして、若い子孫たちは親たちの集団から押し出され、新しい地域を開拓し、剣によってより幸せな席を得るよう指示された。・・・そして、自分たちと同じような部族に出会ったとき、その争いは生存闘争であり、死は敗北の罰であり、生は勝利の賞であるという拒絶反応に刺激されて、必死の勇気で戦った。」
生存闘争を直接的な戦いを例として用いている。

ダーウィンに強い影響を与えたライエルは地質学原理の中で、次のように書いている。
「植物界を一般的に考えると、よく熟した種子でも、その大部分は昆虫や鳥などの動物に食べられたり、発芽する場所や機会がないために腐ったりすることを忘れてはならない。不健康な植物は、種にとって不利な原因となるため最初に断ち切られるものであり、通常、同種のより元気な個体に阻まれるのである。したがって、雑種の繁殖力や丈夫さが少しでも劣っていれば、たとえ野生の状態で1世代以上生産されたとしても、何世代もその足場を保つことはできない。普遍的な生存闘争では、結局は強いものが勝つのであり、品種の強さと耐久性は主にその多産性に依存するが、雑種にはその欠点があることが認められている。」

ダーウィンとウォーレスはともにマルサスの人口論からアイデアを得ている。
ダーウィンの種の起源では、第3章を生存闘争にあてている。「私が言う「生存闘争」という言葉は広い意味での 比喩であり、生物どうしの依存関係や、(さらに重要な) 個体の生存だけでなく子孫の存続までも含ん でいるということを、あらかじめ断っておきたい。二頭の飢えた 肉食獣は獲物を得るために文字どおり闘争するという言い方もあるだろう。しかし、砂漠の縁に生える植物についても、ほんとうのところ は水不足に翻弄されているだけにしろ、乾燥を相手に生存のための闘争を演じているという言い方が 許される。毎年のように千粒の種子をつけるのに、発芽して実をつけるのはそのうちの一粒にすぎない 植物の場合はどうだろう。それらについては、地上を覆っている同種あるいは別種の植物と闘争して いるという言い方のほうがふさわしい。(渡辺政隆訳)

ウォーレスは、1858年に「On the Tendency of Varieties to Depart Indefinitely From the Original Type」で、次のように書いている。
「野生の動物の生活は、生存闘争である。自らの存在を維持し、幼い子孫を養うためには、すべての能力とすべてのエネルギーをフルに発揮する必要がある。最も不利な季節に食料を調達し、最も危険な敵の攻撃から逃れることができるかどうかが、個体と種全体の存在を決定する主要な条件である。」
「ヤマネコは多産で敵も少ないのに、なぜウサギほど多くないのか。その答えは、餌の供給がより不安定だからとしか言いようがない。したがって、ある国が物理的に変化しない限り、動物の数が大幅に増加することはない。ある種の動物が増えれば、同じ種類の餌を必要とする他の種はそれに比例して減るはずである。年間死亡する数は膨大なものになるはずである。そして、各動物の個体の存在はそれ自体にかかっているため、死亡するのは最も弱いもの、つまり非常に若いもの、高齢のもの、病気のもののはずだ。一方、生き延びるものは、最も健康で活力のあるもの、つまり定期的に食物を入手し、多数の敵を避けることが最もできるばかりである。これは、冒頭で述べたように、「生存闘争」であり、その中で最も弱く、最も完璧に組織化されていないものは、常に屈することになる。」


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