要約:なぜわれわれは死ぬのか 12章

第12章
寿命を延ばす技術の進歩は社会的影響と切り離してはならない

現在、先進国では高齢者の割合が20%近くに達しており、世界の多くの地域では現在から2050年の間に倍増すると予想されている。寿命延長がもたらす社会的影響は計り知れない。こうした措置は、一般的に人々が定年後数年しか生きられなかった時代に導入されたものだが、今では定年後20年は生きられる。

罹患率(不健康に生きている人と時間の割合)を抑えずに寿命を延ばせば、現在の問題を悪化させるだけだ。新しいアンチエイジング・テクノロジーをやみくもに採用し、準備不足のまま新しい世界に入っていくような過ちをするわけにはいかない。

そのひとつが貧富の差による平均寿命の格差の拡大だ。イギリスではこの格差は10年程度である。しかし、健康でいられる年数の差はその2倍近くある。米国ではさらに深刻で、富裕層は貧困層よりも15年ほど長生きし、その格差は2001年から2014年にかけて実際に拡大している。

もうひとつの懸念は人口過剰である。平均寿命の大幅な延びは、すでに地球上の人口が多すぎる今、世界の人口を激増させる可能性がある。経済学者は人口の減少を気候変動より大きな問題だと考えている。たしかに、増加する高齢者の老後を支えるためには、若い世代の人口を減らすわけにはいかない。
 
解決策としては、より高齢まで働き続けることだ。しかし、高齢者は若い頃ほど創造的で大胆ではなくなる。創造力が比較的若いときにピークに達するのは、科学や数学の分野だけではない。これはビジネスや産業界でも同様だ。トーマス・エジソンは、

ニュージャージー州にメンローパーク研究所を設立したとき30歳未満であり、その後すぐに電球の発明を行った。今日の世界では、グーグル、アップル、マイクロソフト、アル・ディープマインドなど、最も革新的な企業の多くが20代か30代で起業している。戦争と平和など偉大な文学の多くは30代の作家が書いたものだ。

多くの人は、認知機能の低下は知恵の増加によって相殺されると主張する。確かに若者は知恵や先見性に欠け、軽率な行動に走ることが多い。しかし、ある年齢を超えても知恵が増え続けるという証拠はない。アメリカでもイギリスでも、最近の選挙では高齢者層が保守的で、デマゴギーやノスタルジーへの訴えに振り回される傾向がある。私の推測では、私たちは30代までにほとんどの知恵を身につける。それ以降は、ますます自分のやり方に固執するようになり、賢くなるのと同じくらい反動的になる。

今日、老人に有利な力の不均衡がある。世代間の公平性という問題は、高齢化が進むにつれて人々がより長く働こうとする動きと相反する。では、どうすればいいのだろうか?

年齢と生産性の関係は複雑である。ひとつは、加齢に伴い、問題解決能力や学習能力、スピードが要求される仕事は不得手になるが、経験や言語能力が重視される仕事では高い生産性を維持できるという報告がある。他方、若年労働者と高齢労働者の間に差がなかったという報告が41%、高齢労働者の方が若年労働者よりも生産性が高かったという報告が28%であり、その要因として経験と情緒的成熟度を挙げている。

高齢者が引退した後も、できるだけ長く自立した生活を続けられるような方法を考える必要がある。生物学者が寿命の自然限界である約120年に近づけることに成功すれば、これらの問題解決する必要にせまられる。

社会として、こうした変化がもたらすであろう重大な結果について考えることは重要である。アンチエイジング産業は、コンピューター産業の失敗を繰り返して、その行き着く先をまったく考えずに突っ走り、手遅れになったときに私たちに後始末をさせるようなことがあってはならない。これらの企業は、高齢化研究のブレークスルーから大きな利益を得る立場にあるが、その仕事の社会的、倫理的影響についてはあまり考慮していない。


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