見出し画像

この世界(自然や人の社会)をどう見るかで生き方は大きく変わる。今後の超複雑な情報化社会を見据えた時にどうしても色々なことを考えてしまう。まあ、あまり考えすぎない方がいいんだけど、考えちゃうのは止められないんだから仕方ない(笑)。

で、意識の話だ。物事をどう見てどう捉えるかは「意識」や「心」の領域なわけだけど、僕は意識って単なる脳の動きや体の働きから生まれる「余分なもの」、つまり「バグ」なんじゃないかと思うことがよくある。なぜなら意識というものは、たくさんの小さな部分が複雑に組み合わさって偶然現れるものだとしか思えないからです。

たとえば、私たちの心臓や呼吸は自動的に動いていて、意識がなくてと機能します。僕ら自身の身体や行動を意識でどれだけコントロールできるかな?と考えてみると、実は意識で可能なことってものすごーく限られていて、外部からの刺激や体内の変化によって簡単に変わってしまいます。例えば、少し血圧や空気の変化ですぐに意識を失ってしまう。これは、意識がとても不安定であることを示しています。

しかしこの不安定な意識というものが、私たちにとってどれほど大切かを考えると、とても興味深いものが見えてきます。

意識を通じて、私たちは記憶を思い出し、新しい物語を作り出します。これらの物語は、私たちの経験を整理し、文化や知識を次の世代に伝える大切なコミュニケーション方法であるだけでなく、私たちが生きていく上で必要な思い出や記憶も物語でアンカリングされることで、わたしがわたしであり、あなたがあなたであると思うことができる。

意識は儚いからこそ、私たちの意識は必死に筆をとり、音を奏で、物語を紡ぐ。私たちが日々楽しむ芸術や文化も、意識の特別な力によるものです。芸術家たちは、内面の感覚や外からの刺激を使って、新しい絵や音楽、物語を生み出します。これらの創作活動は、意識がどうやって普通の感覚を超えたものを表現するかをよく示しています。

よって、意識の複雑さをもっと理解することは、私たちがどう生きるか、この世界とどう関わるかを深く知る手がかりをくれるのだろうと考えています。

このように儚く、脆弱な存在である意識が、人類にとってどれほど重要なのか、また、私たちがどのようにしてこの現象を利用しているのかは注目に値します。意識を通じて、私たちは記憶を解釈し、新たな物語を創造します。これらの物語は、私たちの経験や学びを形成し、冒険の日々を生きていく支えになることは間違いない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?