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東工大の理系院生として普通の就活をしていた8年前の自分に伝えたいこと

こんにちは。リンク・アイの「NO2」、役割としては「何でも屋」、呼称をつけるのであればCOO?そんな立場の能勢と申します。

今年で社会人生活9年目になります。これだけ転職が当たり前であり、そしてキャリアは「幅」と言われる昨今において、私の社会人生活は「理系の新卒採用一色」と言い表せてしまうほど理系の採用ばかりを続けてきました…。

具体的には、親会社のリンクアンドモチベーションの採用部隊として、理系院生のイベントや講座を行い、年間数千人の理系院生と出会い、数百人の理系採用担当の方々と対話させて頂きました。

おそらく、これほどまでに理系院生の新卒採用と向き合ってきた人間はいないと思いますし、今後もこんなことをやる人間は生まれないと思います。(し、やめた方が良いです。笑)

そんな特異的な人生を歩んできた私だからこそ、「東工大の理系院生だった8年前の自分に伝えておきたいこと」をテーマに、言葉を綴っていこうと思います。

もう自分自身に活かすことはできませんが、これから就職活動を始める理系院生に少しでもお役に立てれば幸いです。

今回は具体的な内容をお伝えする前に、なぜ私が理系採用にこれだけの時間を費やしてきたのか。その理由を第一歩として書かせていただきます。


Vol.1 正規社員になれない2万人の天才たち(ポスドク問題)

皆さんの研究室には博士課程の先輩はいるでしょうか?実際に研究室にいる人はイメージできると思いますが、博士になる方は、大抵研究室の中でも「天才」と呼ばれる方が修士から選抜されますよね。

自分が所属していた研究室にも一人「ノイマン」と呼ばれた天才博士がいました。彼は10桁の計算なら暗算、一度見た論文はすべて記憶してしまう頭脳を持っており、座学では敵がいないほどの成績を収めていました。
そんな彼でしたが、研究では良い成果を出すことが出来ず、教授の道を諦め、民間就職をすると決めて就職活動を開始しました。

若干コミュニケーションが特徴的ではありましたが、天才的な頭脳があったため自分も含めた研究室メンバーは皆どこかには決まるだろうと思っていました。
ただ、自分たちの期待とは反対に、「ノイマン」は1つ落ち、2つ落ち…数ヶ月経っても一向に内定を得ることは出来ませんでした。徐々に、「ノイマン」は大学を休みがちになり、それから数ヶ月経った頃、彼は大学を退学しました。

これは私が経験した一例ですが、日本には「ノイマン」と同じように、高い能力を持ちながらも就職に苦しむ博士は沢山います。

就職を希望する博士の就職率は平均70%程度。工学系であれば80%程度ですが、理学系で60%程度であり、その中でもバイオ系は40%を割ることさえあるという状況です。

学士でも90%、修士であればほぼ100%と言われることと比較しても、その厳しさが伝わるのではないしょうか。

加えて、博士課程は就職できたとしても「任期付き」の採用が大半です。平均任期は3年と言われ、アカデミックや企業の研究機関であれば、3年以内に何かしらの結果を出さなければ解雇、もしくは雇用要件の変更が求められるそうです。その結果、民間企業に入社できたとしても、「出戻り」で大学に戻ってきてしまうことがあります。

結果、就職することも難しく、就職できても任期切れで再度ポスドク(=正規雇用待ちの博士)として大学に席を置くことなってしまいます。2000年時点で1万人程度だったポスドクは、2020年現在2万人にまで増え続けてしまい、これを世間一般的には「ポスドク問題」と呼んでいます。

こうした状況に、政府も優秀な博士課程に就職の優遇をする卓越研究員制度や、一部人材サービス企業などが博士採用支援を始めています。しかし、そもそも新規の博士学生数が同時に増え続けているため、このような状況が改善されていません。

市場は人材不足を嘆き、国際競争力を高めるためには「テクノロジー」だと叫ばれているにも関わらず、このような矛盾が起きています。

 なぜこのような問題が生じるのか?
 なぜ修士と違い博士の就職は厳しくなるのか?
 ―このカラクリを解き明かし「理系院生の最適配置」を果たしたい。

これが私が理系採用に関わり続ける理由であり、この会社で働き続ける理由です。そして、この9年を経て自分の中でこのカラクリが解明されてきたからこそ、8年前の自分に正しく伝えたいと思うことが多くなりました。それを伝える一つのツールとして、この場を選びました。定期的にこのカラクリの続きを配信して行きますので、ぜひ皆さんの周りにいる理系学生にも伝播していただければ本望です。

拙文にお付き合い頂きありがとうございました。



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