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全部ひっくるめて、振り返ってみた

久しぶりのnoteです。
自分の気持ちを整理すること、そして、置き忘れてきてた自分の感情を味わうこと、その2点をnoteを書くことでできたらいいなと思っています。

今回書くのは、高校1年生になった息子のことです。
前にも書いていましたが、息子は中1の冬から学校に行っていませんでした。後から息子に聞いてわかったことですが、何度か学校に行こうと思ったり、勉強を再開しようとしたりしたことがあったそうです。
でも、やっぱりできなかった、行けるならみんなと同じように学校に行って、友だちと学校で過ごしたかった、そんな気持ちもあるそうです。
結局中学3年の卒業まで、学校に行きませんでした。
ただ、中3の秋に、友だちに同じ高校に行こうと誘われ、そこから勉強を再開して、希望の高校に合格。この4月に入学しました。
入学したものの、学校に通う、というハードルは、息子にはまだ高すぎるようで、学校は最初のほうに少し行っただけで、そのあとは休んでいます。
「学校に行けたらいいな~。」
なんて、つぶやく息子を、私は抱きしめるしかできません。

もともと、息子は学校が苦手でした。
遡れば、幼稚園の入園から、一度も自分が所属している場所が好きだったことがありません。
新しい場所、一日の流れがわからないことが、とにかく苦手なようで、新年度は毎年毎年大変でした。その中で、私が大切にしたことは、今所属しているところのルールを大切にしながら、担任の先生と協力して息子が安心できる環境を整えていく、ということでした。
ほとんどの場合、それがうまくいって、息子も少しずつ自分で頑張り、自分でできることが増えていきました。息子にとって、学校は好きな友だちと過ごせる場所だったようで、友だちがいないところに行くのは嫌だ、と言っていました。

小学校6年生になったとき、息子は学年代表で入学式の挨拶をしました。
小5の時にクラス委員をしていて、その流れで代表をやったようでした。
入学式が終わって、新入生とすれ違ったときに
「さっきのお兄ちゃんだ。」
と言われたときは、1年生かわいいな~って思った、と、だいぶたってから教えてくれました。
自分に自信がついて、これからいろんなことにチャレンジしていくんだろうな、とその時は息子の未来が楽しみでした。でも、6年生の1年間は、息子にとって嫌なことがたくさん詰まった1年間になりました。
担任の先生との連携が、全く取れなかったんです。息子が自分のペースで、自分で決めたことを頑張る、自分勝手にならないように、担任の先生たちと相談しながらやる。そのことを、担任の先生は理解できないようでした。
私も、何度も先生と話をしましたが、担任の先生は自分の考えの中で息子を変えようとしているようにしか感じられませんでした。
そんな環境でも、息子は1年間一生懸命に頑張りました。基本的に別室登校だけど、クラスで授業を受ける時間を作ったりもしていました。
担任の先生には伝わらなかったけれど、息子のことを知る先生には、
「彼はそのままで大丈夫だと思います。」
と声をかけてもらってました。

中学校に上がり、心機一転、息子は元気に学校に通うようになりました。
「楽しい~!」
と1学期の頃は話していました。でも、少しずつ勉強が頭に入っていかないことがしんどいと感じていたようです。当時の私は、息子が順調に過ごしていると信じて疑わず、私は自分のことばかりを考えていました。息子が、端々に出していたSOSを全く気が付きませんでした。
そして、中1の秋に、息子なりに友だちのことを一生懸命に考えて行動したことを、担任の先生に全否定され、息子はとても傷ついたようでした。
その頃、私も息子の様子がおかしくなっていることに気が付いていましたが、もはやどうにもできなくなっていました。
頑張ろうとするけれど、心身のバランスが取れない、学校で勉強しようとすると頭痛がひどくなる、微熱がずっと下がらない、そんな感じで、少しずつ学校に行けなくなっていきました。
最初は、「病院に行く。」と言って、内科でみてもらってたけれど、全然回復しないし、しんどさが楽にならないということで、病院にも行かなくなりました。私なりに、いろいろと調べて、思春期外来に行ってみないかと提案したこともありましたが、「病院に行っても、自分はよくならない」という気持ちが強くなっていたのか、「元気になって学校に行こう」という気力が失われていたのかわかりませんが、息子は病院に行くといいませんでした。そうこうしていた中1の冬。新型コロナウイルスの影響で、学校が一斉休校となりました。

一斉休校で、みんなが休みとなると、息子は少しずつ元気になりました。表情も明るくなって、体調も回復してきました。
中2になり、少し遅れて学校が分散登校で始まったとき、息子は何度か行きました。でも、そこで行かなくなりました。その頃に、息子とどんな話をしていたのか、もう思い出せないのですが。
頑張りたいけれど、頑張れない。
自分なんていないほうがいい。
そんな感情をぶつけられたこともありました。
今まで頑張ってきたけどうまくいかなかった、どうせ自分はどうしようもない人間だ、そんな風に息子は自分のことを考えるようになっていたようです。学校に行かない選択の中で、自分自身を立て直すことをしてもいいじゃない、私の考えはそこに落ち着きました。

息子が抱えた大きな大きな傷に気が付いたとき、私は今まで自分が大切にしてきた子育ての考え方は間違っていたのじゃないか、もっと別の形で息子が自分の特徴と付き合えるようにしていたら、息子はこんなにも苦しまなくてよかったんじゃないか、ととてもつらく、悲しい気持ちになりました。
それと同時に、小6の時に、彼のことを理解してくれる先生が担任だったら、中1の時に、息子の話を聞いてくれる人が周りにいたら、何かが変わっていたかもしれない、そんな思いもよぎりました。
ただ、過ぎた過去をどうこう言っても仕方がない。それでも息子は、自分の人生を何とかしようと前進しているんだから、そう思って、息子のことを見守り、信じることを選びました。

中2、中3の担任の先生は、息子のことをそのまんま認めてくれる方でした。学校には行ってなくても、普段のやり取りの中や、友だちから聞く話の中で、息子の良さを見つけ、それを尊重してくれました。
学校に行ってなくても、友だちは遊びに来ていました。変化しない日々も長かったけど、少しずつ少しずつ、息子が元気になっていってることを感じられるようになりました。
そしてある時、
「高校受験をしたい。」
と言い出しました。
自分の自信を全く失い、自分なんて底辺の人間だ、とまで言っていた息子が、この言葉を口にするのにどれだけ大きな不安だあっただろう、と思いました。
「中学生活で頑張れなかった分、最後に頑張りたい。」
そういって、受験勉強を始めました。
それもまた、なかなか簡単には進まなかったし、親子で自分の気持ちと向き合うことの連続だったけど。

自分なりに受験勉強を精一杯やり、受験前日には「大丈夫。」と思えるところまで来ていました。
その時の息子の様子は、とっても逞しかった。

合格してから、入学、そして今。
息子は、
「せっかく頑張って入った学校だから、頑張りたい。」
という気持ちと、
「学校という場所に行きたくない。」
という気持ちがせめぎあっているようです。
入学式の後、一番最初に担任の先生に話しかけたのが息子だったそうです。
「中学の時不登校でした。不安はあるけれど、頑張りたい。」
そのようなことを、担任の先生に伝えたそうです。そんな息子のことを、担任の先生は、まだ学校には行けてないけれど、待ってくれているし、応援してくれています。

息子にあった環境を探して、その中で息子が成長していく方が、周りに心配や迷惑をかけないし、息子自身や私も負担が少ないかもしれない。
何度も何度も、そう思いました。
でも、そうじゃない環境だからこそ、経験できたこともたくさんあります。

振り返ってみて、やっぱり悔しい気持ちや悲しい気持ちは、まだあるな~と感じました。ただ、私自身が、そのマイナスの気持ちを味わう余裕が、持てるようになったことにも気が付きました。
きっと、悔しさ、悲しさの真っただ中にいるときだったら、こんなに穏やかな気持ちのままに、自分のマイナスの気持ちを味わうことができなかったと思う。今だから、こうやって振り返られてるんだと感じています。
そして、マイナスの気持ちを置き忘れたままに、ここまで来れたことへの感謝だけを大切にしていたら、きっとどこかでバランスが崩れるときが来たんじゃないかな、とも感じています。

息子の成長を通して、私が感じた、学んだこと。
これからも大切に、自分の中で育てていきます。


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