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善とは悪くないという意味

こう見えて僕は「なんちゃって仏教徒」である。
「なんちゃって」とわざわざ言うのは不偸盗戒と不邪淫戒とあと和顔愛語しか守っておらず到底「本物」にはなれないからである。

が、一応「今ここで何をなすのが善いのか」は常に考えている。
自分の手の届く範囲で善をなす。「なんちゃって」にはこれしかできない。

じゃぁ、「善とは何か」っていうと何とも言い難くて「悪くない事」としか僕には言いようがないのである。
でもこれはシンプルでも難しい。

で、さっきまで寝てて(只今5:00)ふと思ったんだけど、「ピュアな」仏教が本当にあるのかわからないというか、仏教が土着の思想と習合して変化して各地に根付いているのは、「仏様」という「こっち見てる偉い存在」を使って「悪」をしない、言い換えると今この瞬間に「善」い事をするための(失礼だけど)「道具」としての側面というところがあると思うんだよね。

まぁ、その側面はどこの宗教でも同じだけど、仏教は仏様の下で平等だから、民衆の支配に使えないっていうのが僕は好き。

追記
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」が僕には解んないんだよね。「勤めて周囲を思う事」をもって善人とする事も出来るのに、わざわざ「善人」を貶めているような気がしてならない。ここんとこを解決できていないので、僕は浄土教と仲良く出来ないでいる。

じゃ、少し二度寝。寝るのも瞑想のうち。


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