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コンテナ物語

買った理由

まず,有名だったから.
大学の図書館にあるのを把握しつつも,ついに卒業してしまった.
最近になって昔の表紙↓

これ

から違う表紙で増補改訂版が売られていて,さすがに読むことにした.
最近いろんな本を読んで気づいたけど,新しくて話題のトピックを扱っている本よりも,昔から売ってて評価が高い本のほうが結局学べる事が多い
ので買ってみた

感想

いい製品・システムが世に出ると一気に広まると思っていたが,そうでもないことが分かった.
多くの利害関係者が既存のビジネス・ルールを変えて協力しないと,全体の大きな利益にはつながらず,それには衝突や運も必要である

メモ

この本で明らかにしたいこと

輸送技術の変化がもたらしたこと
イノベーション(資本や労働者を効率的に使えるようになること)の重要性
輸送コストと経済地理の関係

コンテナによる輸送費低下がもたらしたもの

安い賃金で劣悪な条件で働く港の労働者がいなくなった
港湾労働者の仕事は危険であり,労働組合のコミュニティも排他的で人種差別も多い
労働争議も多く,水夫・鉱山労働者に並んで労働損失日数が多い
搾取してきた雇用主に対して疑心暗鬼になっており,あらゆることを契約で決めさせており,非効率な習慣が変わりづらかった

輸送に関するルールも硬直的で非効率だった
ルールは州際交通委員会(ICC)に決められていた
品目ごとに固有運賃を決めさせ,重量による設定を違法とした
また,コンテナ内でもっとも高価な品目の運賃を,コンテナ1つの運賃の基準とした

コンテナのような箱に入れるという発想はあったが,そのコンテナが輸送上非効率だった
木製コンテナは1個が小さく,毎回貨物の上からキャンバス布を覆う作業が必要だった.別の金属製のコンテナは,貨物重量の1/4をコンテナ自体の重量で占めてしまっていた
コンテナを港内で移動させるのが危険だった
コンテナにも関税がかけらせていたため,空のコンテナを送り返すのにも関税がかかった

港や消費者に近いことが意味をなさなくなった
安い土地と人件費を求めて,別の場所が発展し,以前の港は凋落した
工業団地では,何前何万の製品が完成品に至るまで一か所で生産されていたが,ある製品・工程に特化した工場が登場し,中間生産財が交易されるようになった
老舗船会社は,コンテナ輸送に切り替えるコストを負担しきれず,倒産した.

企業も海外に販売するようになり,大量生産のメリットを享受できるようになった.地元のメーカーは国外競争を強いられるようになった.

労働者には,モノの選択肢が増えるというメリットがある.
安い製品を買えるようになる.
経営者は安い労働力を求めて拠点を決めることができるので,労働者に対する賃金交渉で優位に立てるようになった.

コンテナ普及の流れ

第二次世界大戦後,国内輸送は基本トラックだった
船会社は手厚い産業保護を受けており,現状維持をする風潮にあった
新規参入の船会社は,既存と競合しないことをICCに証明しないと参入できなかった.また,カルテルに加盟して一律賃金を定められた
軍からの安い払い下げの船を買う権利があった

1953年,高速道路の混雑がひどくなり,トレーラーごと船で運ぶという方法を,マクリーンという若い運送会社の社長が思いつく
ICCは,船のほうがトラックより速度が遅いという理由で,トラックより低い運賃を設定していた.
太平洋側では,マクリーンのシーランド運送という会社がコンテナ輸送をはじめた
一方,大西洋側では,オペレーションズ・リサーチの研究者であるウェルダンがコンテナの最適サイズ・実用化を研究し,マトソン開運が1957年にコンテナ輸送をはじめた
1964年,海運業界でコンテナ輸送は話題となったが,外洋航路には向かず沿岸航路用だと考えられていた
その後ベトナム戦争で,ベトナム側の港が整備されておらず,輸送が滞っていたところをシーランドのコンテナ輸送が解決した.これにより,コンテナ輸送の効率性が認知されるようになった.
また,政府の資金でベトナムまで輸送し,帰りに日本からの貨物を運ぶという方法でシーランドは利益を得た

コンテナ普及による港の繁栄・凋落,労働者との衝突

ニューヨーク港は,ニューヨーク側とニュージャージー側に分かれている

出典: https://www.kokusaikouwan.jp/wp/wp-content/uploads/2019/11/2017_2.pdf

ニューヨーク港は,かつて海上輸送される国産工業製品の1/3を取り扱っていた.シーランドは,比較的発展していなかったニュージャージー側をコンテナ専用港とし,発展を遂げた.
その後,各地でコンテナ港が開発され,海運会社は効率的なコンテナ港にのみ寄るようになった.それにより港間での設備投資競争が発生し,流れに乗れなかった港は衰退していった.

ニューヨーク港の港湾労働者連盟: ILA
西海岸の港湾労働者連盟: ILWU
どちらも,仕事が奪われるとして港湾作業の機械化に反対していた
経営側は労働者側は長年の間激しく衝突し,大統領も港湾労働者の度重なるストライキを問題視する時期もあった
結局,どちらの労働者連盟も,機械化の利益を経営側と労働者側で分け合うような協定を結び,港湾作業の自動化は進むことになった

ILA: コンテナ荷役を無制限に機械化していいが,1トン当たり1ドルをILAに支払う協定を結んだ
ILWU: 労働量を確保するために,あえて非効率な作業の仕方をしていたが,それを一掃されそうになって95日間のストライキを行った.
のちに,第3者委員会による調査で,実労働時間のうち50%しか働いていない実態を暴かれた.
これにより,経営側は今後不要な人員を一切雇わなくてよいが,年間500万ドルを港湾労働者基金に払い込み,港湾労働者の仕事が週35時間に満たないときも賃金を保証するという協定を結んだ