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モーリシャスの事例から学ぶ〜環境とビジネスと人権〜

[最新ニュース] #モーリシャス #環境と人権 #ステークホルダーエンゲージメント

7月25日にモーリシャス沖でタンカーが座礁し、その後、8月6日に重油が流失した事故が現地の環境・人々に大きな影響を与えています。

環境に対する影響はもちろん深刻な問題ですが、この事故がビジネスと人権の観点から語られないことへの危機感を覚えています。

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出典:https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/wakashio/

人権に対する責任とは?

当初、タンカーを運航する海運大手の商船三井は、法的責任は船主にあるとして自社の責任については全面的に否定していました。しかし、企業の規模、影響力といった点から、船主の長鋪汽船のみが責任を負うのは「おかしい」のではないかという声が高まりました。

同時に、この汽船の船籍国(旗国)はパナマであるいわゆる便宜置籍船であって、パナマが国としての責任を負担する能力も意思もないことが明らかであることから、商船三井と長鋪汽船の本社所在国である日本政府に対する非難も大きくなりました。

日本政府はこれを受け、環境省が国際緊急援助隊を派遣し、油状物への対処、生物系への影響の把握、またマングローブ・サンゴ群集・野生生物や海水の詳細な調査などを支援しています。

その後、商船三井も、人員を派遣するほか、防護服・マスク、油吸着材、漁業支援用コンテナ等の供給をはじめ、「自然環境の回復と保護について知見を持つ専門家や団体の助言と協力を仰ぎ、日本政府とも連携を取りながら、長期的にモーリシャスの自然環境及び地域社会への貢献に取り組みます。」として、「モーリシャス自然環境回復基金」(仮称)の設立など、貢献支援策として総額10億円規模の拠出を予定しています。(参照:商船三井ホームページ

発生直後は、自社の責任を否定していた商船三井が、国際環境NGOグリーンピースや専門家らと意見交換をし、モーリシャスのマングローブ林の保全や植林、座礁船が傷付けたサンゴ礁の回復や海鳥の保護に向けて基金を設立したことは歓迎すべきことです。

しかし、「ビジネスと人権」の視点から見てみると、さらなる取り組みが期待されます。

「ビジネスと人権に関する指導原則」では、企業は自社の事業活動が①直接引き起こす、②助長する、あるいは③取引関係を通じて直接関連する人権への負の影響に対して広く責任を負います。

今回のケースでは、商船三井は、船主である長鋪汽船との取引を通じて、事故による影響に関わっています。すなわち、今回のケースの救済に自社の責任の範囲として取り組むことが期待されているのです。

では、ここで対象となっているのは「人権」とは誰のどんな権利でしょう?

誰のどんな人権の問題?〜2つの視点から〜

この事件で考えるべきなのは誰のどんな人権でしょう。

まず第一に、重油の流出によって日常生活や仕事に大きく影響が出た地域住民の健康で、適切な生活を過ごす権利の侵害が懸念されます。

商船三井が公表した「WAKASHIO号事故に関するモーリシャスの環境回復・地域貢献に向けた当社の取り組みについて〜モーリシャスと共に」では、「現地NGOおよびモーリシャス政府・国際公的機関の機関への拠出」や「地域社会・産業への貢献」として、地域住民に向けた取り組みが記されています。

指導原則は、人権リスクに対する取り組みについて、ライツホルダー、つまり、その人権の主体である人たちの声を聞くことが重要と強調しています。

したがって、今回も、商船三井が地域住民の被った損害に対する救済として具体的な支援内容を考える際には、ライツホルダーである「地域住民」が何を望むかということをまずしっかりと確認する必要があります。

もちろん地域住民といってもそれぞれの状況は異なることから、全員が同じ要望とは限りません。コロナ禍によって、観光業に依拠している同国の経済的打撃も大きいことが心配される中、今回の事故による賠償で地域住民が分断されることがないように、モーリシャスのこれまでの社会的・経済的背景をよく考慮しながらニーズを把握することが求められます。

次に、この船で働いていた船員の労働者のとしての権利が十分に保障されていたかという点も考える必要があります。

今回の事故は、警告を受けたにもかかわらず、船が浅瀬に近づき過ぎてしまったことが原因と報道されています。そしてその理由は、 船上に長い間いたため、家族が恋しくなり連絡をとるために、wi-fiが利用可能な区域にたどり着くためだったと言われています。

結果として重油を流出させてしまった船員の行為に対する法的責任は問われるべきでしょう。しかし、この船員が、船上での生活・労働環境に伴って生じた思いを誰かに伝え、相談する手段はなかったのでしょうか。

長時間、陸から離れ、家族や友人とも連絡が取れない船員の労働環境は非常に過酷と言われています。国際労働機関(ILO)は、2006年海事労働協約(MLC)を採択し、疲労、勤務中の健康、安全性、船員の就労及び居住状況、採用といった、船上の労働に関連する事柄を扱っています。

また、国内法である船員法も、次のような海上労働の特殊性から通常の労働基準法とは異なる独自の規定を置いています。

1 孤立性:長時間陸上から孤立
2 自己完結性:警察権が及びにくい・医療等の船外支援が受けられない
3 危険性:衝突等の海難事故・動揺する船内での作業・死亡率の高い海中転落の危険
4 職住一致:労働と生活が一致した就労体制
国土交通省海事局運航労務課「ILO海上労働条約の批准に伴い国内制度改正(船員法関係)について 説明資料」

MLCを受けて改正された船員法では、「船内苦情処理手続」を整備することが定められています。

ここでは、基本的には陸上における苦情処理手続きと同様に、申し出された苦情の事実関係の確認に始まり、苦情処理会議(船長及び船員の代表者を含む、複数の船員から構成)によって処理するのが適当と判断される場合には、苦情に対する改善案を提案し、船舶所有者へ報告するといった手続きが取られます。苦情を申し出た船員に対する不利益取り扱いの禁止を前提とすることも陸上と同様です。

船員法の適用を受ける船舶所有者とは、直接船員を使用する者を想定していますが、指導原則の趣旨からすれば、ライツホルダーである船員の人権に直接関係する内容ですから、商船三井としても検討する内容となります。

どうして船員がこのような最終的な手段に出ることになってしまったのか、その前に声を上げる仕組みがきちんと機能していたか、この点に関してもぜひ、透明性、アクセス可能性、公平性といった指導原則31が示すグリーバンス(苦情処理)手続きの要件を参照にしながら検証を進めることが、今後、同様の事故を防ぐために必要と言えるでしょう。

日本政府の役割

指導原則は、いわゆるソフトローであり、それだけで何か拘束力をもたらすものではありません。だからこそ、国には、指導原則の実現に向けたロードマップである国別行動計画(National Action Plan)の策定が求められ、日本政府も今年の秋頃の公表に向けて作業を進めています。

指導原則では、国は、企業に対して期待する内容を明らかにし、指導原則の実施を支援することが求められます。

今回のケースのように、これまでの枠組みである国内法あるいは国際法だけでは対応が不十分となる事案は今後も起こりうることから、国として、事業活動に関連する人権リスクへの取り組みとして企業に期待すること、そして国としてそれをどのように支援していくかを明確にすることが必要です。しかし、公表されている日本のNAP原案では、この点について、今後国が具体的にどのように取り組んでいくかについては示されていません。

環境と人権の関連性

今回のケースは、「環境」と「人権」のいずれにも大きな影響を及ぼしています。重要なことは、環境か人権か、ではなく、それぞれに対して与える負の影響をどのように予防・軽減し、そして救済を実現するかという視点です。環境への影響は、当然、私たちの生活にも影響を及ぼすものであって、両方を別々に考えるのではなく、その関連性も含めて検討しなくてはいけません。

環境省は「バリューチェーンにおける環境デュー・ディリジェンス入門〜OECDガイダンスを参考に〜」を今年8月に公表し、気候変動も含めた環境への影響評価、デュー・ディジェンスのあり方について、OECD多国籍企業行動指針に基づき提示しています。

バリューチェーン全体を見ること、ステークホルダーとのエンゲージメントの重要性といった指導原則も強調する点が共有されたことは評価できる一方で、この入門編では、環境と人権との関係性に関する記述は十分とは言えません

EUは、2021年中に義務的なデュー・ディリジェンス法を制定すると明言し、現在その内容が検討されています。特筆すべきは、その対象は「人権」と「環境」の両分野であるとされている点です。また、グリーン・ファイナンスを目指すタクソノミー(「環境面で持続可能な経済活動」に該当する活動の分類。グリーンウォッシングを防ぐことなどが目的。 6つの環境目的のいずれか1つ以上に貢献し、いずれにも重大な害とならないものとして、技術的な基準が定められている。)でも、企業が遵守すべき最低限の原則として指導原則が明示されています。

このように、国際社会は、既に環境と人権が切っても切り離せない、相互に影響を及ぼす関係であることを当然の前提として、包括的な取り組みを進めることで、私たちの地球・社会の状況が少しでも良い方向に向かうよう努力し始めています

今回のモーリシャスの事故からは、①船上という特殊な環境における従業員の労働環境の整備の課題、そして②環境に対する悪影響を通じた人権への負の影響が浮き彫りになりました。

今回の事件から学ぶべき点

①人権及び環境デューディリジェンスの実施
もし、人権デューディリジェンスによって船員の労働環境の整備も問題が把握できていたら、事故発生を予防するための手段をとることができたかもしれません。ライツホルダーの視点による人権デューディリジェンスプロセスの構築は急務です。

②実効性のある補償のためのステークホルダー・エンゲージメントの実施
環境や人権に影響を受けた人々にとって必要な救済措置が取られるように、環境・人権へのインパクトアセスメント(影響評価)を実施した上で、ライツホルダーと協議し、実効性のある補償を提供することが重要となります。

このように、事故などを未然に防ぐために、また、万が一起きた際に適切な補償を提供するために、ビジネスと人権の視点は大変重要です。

Social Connection for Human Rights/佐藤・鈴木・土井


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