コンプレックス 2020.04.01
今日の話は”PSYCHO-PASS3 First Inspector "を見ての感想と考察から、根源的なテーマをひとつ取り上げようと思う。
このシリーズには毎回キーとなる悪役が登場するが、今回は梓澤という中年男性が裏から事件を操る話が中心である。分刻みの綿密な計画と人をチェスの駒の様に動かす事に長けた、一筋縄でいかない人物という設定であった。選択肢を提示し、どちらを選ぶかは本人に任せる。自分は直接手は下さず他人が何を選択しどのような結末を迎えるかを観察する、というやり方がシリーズ通して描かれていた。
そんな梓澤氏のたっての願いは、自分自身が非公開ながら国の最高機関であるシビュラシステムの一部になることだった、というのが映画の最後に出てくる。が、そんな梓澤氏の野望はシビュラの一言であっさり退けられてしまう。シビュラの適性は生得的なものによると知ってしまうのである。
そのときの梓澤氏の「どうやったらなれるのか?」という言葉に、彼の必死の努力の裏に何があったのかがよく分かる気がした。それが”コンプレックス”である。「他の人にないものを得ようとする」梓澤氏の動機は、彼自身が自分の生まれ持っての能力そのものに強い欠乏感や劣等感を持ち続けた事を予想させるのである。
彼の身近には彼が憧れとする人物(たぶん篤志さんだろうと思う)がいて、それが一層彼の劣等感を引き出し、シビュラを目指すという固い決意をさせたのかもしれないと映画を見ながら考えた。しかし、彼にないものはいくら努力してもどうしようもないという事を、これ以上無い簡潔な言葉でぴしゃりと言い切ったシビュラさんもなかなかの凄みであった。自分の計画が最初から間違っていたと認める事ができない梓澤氏はその後シビュラルームで暴れるのだが、それはまるでかんしゃくを起こす子供のようにも私には見えたのであった。
自分自身を振り返っても、確かに梓澤氏のような「自分以外のなにかになりたい」欲望はあったなと思った。私も自分自身の嫌いなところ、他人と比べて劣っているなとずっと思っていたことはいくつもあった。努力すれば必ずなりたいものになれると思っていた時期もあったが、ある事をきっかけにそのように考えるのは辞めてしまった。生得的なもの、例えば体格やルックスなど見た目に分かるもの以外に才能やメンタルな特徴も含まれるが、それを否定してそれ以外の何かになることはできないと分かったからである。
それらを受け入れて、どう表現するかの術を見いだすこと、そして自分の持ち駒と経験の積み重ねをどのように社会や他人に対して還元していくかを知ることは、コンプレックスを克服する為にはとても大切なのだと思う。コンプレックスは”自分でないキャラクター”を身に纏うことで欠乏を補おうとする心理的な働きの裏にある、ある種のトリガーのようなもので、それを点火剤として人を頑張らせることはできるかもしれないが、自分の受け入れがたい部分を隠してしまうだけでなく、生得的な良さや強みを人生で実現する機会を奪ってしまっているようにも思えた。
ところで最後シビュラシステムは梓澤氏を処分する決定を撤回するが、それはもしかしたらその後を生きる事のほうが梓澤氏にとっては苦痛であり、死よりも重い罰になるかもしれないと考えたから…なのかもしれないとちょっと思ったりもした。反省や更生を期待していた訳ではなさそうにも思えた。コンプレックスから離れないと自分の姿を冷静に見つめるのは難しいので、後悔はすれど反省には到らないだろうなと、結末を見ながら私自身もそう感じた次第であった。
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