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現実味がない。

昔、目がクリクリで可愛らしいお人形さんみたいな顔の友達に言われた。
「クロちゃんって、漫画に出てくるキャラみたい。リアルに居なさそう」

えっ……。

昔から友人にすら言われる、『どこか現実味がない』と。
次点で『何を考えてるのか掴めない』…。

私、現実に存在してる、生きてる人間だよ(笑)。
そして、割と普通の事しか考えてないし、何なら普段そんなに難しいこと考えて生きてないよ(苦笑)。
(どっちかっていうと感覚で生きてる)

最近もそれでちょっと失敗した。
改めて考えると、そりゃそうかもしれない。実際に私と交流あった人でさえ上述のように云うのだから。

親兄弟にすらたまに言われる事があるのに。

…自分の気持ちや考えを正直に話しすぎると足を掬われたり、後に自分の弱みになると、無意識にもそう思ってブレーキをかける事が多いからなのか。
そう言えばあの人に好きだよって言ってなかったな〜とか、後になってから気付く事が多いような気は確かにする(笑)。

私にとっては故郷も生まれた家も、あんまり安心できる場所では無かったから。
自分の心を守るためには、本音は誰にも明かさない方が良いのだと遠い昔に学んでしまった。

それが、自分を思ってくれて、近くに居てくれる人に距離を感じさせたり、いつまでも心を開いてくれないと思わせていたのではないかと思う。

学生の頃とか、『ある時フッと、何もかも置いて消えてしまいそう』…なんて言われたりした事もある。
たぶん、本当は誰の事も大事に出来ない、何にも大して執着してない本質を見透かされてたのだろう。
たぶん今でも、捨てる時はそれまでの事を思いつつも躊躇いなく捨てていくんだろうなと、自分でも自分の取るであろう選択に予想がついてしまう。

その当時、誰かも言ってた。
私のイメージは、“雪原の中に独り佇む人”。

あの頃の自分は、自分自身の生すらもどこか他人事みたいな気持ちでいたから。

…まさかその後何十年も生きるなんて想像してもなかった(笑)。
まあ、何か大きな気持ちの変化だったり、決意や信念があって生きてきたって訳じゃないけど。

…姪っ子の言ってくれた『大好き♡』には、“私も大好きだよ”って返せる。
実際そう思っているからというのもあるけど。
なんか、嘘偽りなくそう思ってくれてるのが伝わるから。

昔から、人の気持ちには敏感で、自分でも勘みたいなもので根拠は分からないのだけれど、
そこに相手の欺瞞や打算的な思惑が見えてしまうと、口から出る言葉を言葉の通りには嘘でも受け入れ難いと思ってしまう。

…母が言ってたことがある。私の目は何もかも見透かされているような怖さがある、と。
私はその頃まだ子供だったのだけれど…。あの人こそ欺瞞だらけだったもんな…。

人の嘘偽りを感じ取ってしまう分、上辺だけでもそれに合わせないとならない状況とかが自分自身の苦痛やストレスになっているだろうなという事は、今は経験上何となく自覚している。

自分のような人間は、実際居そうであまり居ないのだなと、あれから数十年近く生きてみて気付いた。
それを、周りの人は『現実味が無い』と感じるのかもしれないなと思う。
実際そこに居たとしてもそう思ってしまうような人間なんて、自分の目で見た事しか信じられない、想像力を欠いた自身の偏った価値観が全て…な種類の人間からすると、“そんな奴現実に居るわけないだろ嘘ついてんじゃねえよてめー”…ってなるのだろうな。
それがネットの世界であればなおさら。

私の個人的な思いや経験は、こういうブログで書いてる方が向いてるのかもな……と、最近の経験から学んだ。

誰かに自分を把握されるのって不快だし、一人の人を簡単には理解なんて出来ないし。

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