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辛くなる前に

私の古い友人に、Aという人がいます。

彼はもともと職種は違えど私と同じ職場で働いていました。一年ほど組んで一緒に仕事をしたこともあります。しかし、当時は、もちろん会えば挨拶こそしますが、特別に親しいといった仲ではなく、一緒に仕事をしていても連れ立って昼食を食べに行ったこともなく、同じ会議に出席するために一緒に日帰り出張したとしても、会議が終了すれば建物を出たところで「じゃ」とお互い軽く挨拶して別れる、そんな間柄でした。

私がその仕事を辞めてドイツに渡った時、Aはその少し前から複数年の予定でドイツに研究滞在していました。どちらが言い出したのかもう覚えていませんが、「せっかくだから一度くらいドイツで会おう」ということになり、一緒にお茶を飲みました。当時は2人ともドイツ語猛烈勉強中という状態で、ドイツ語のことについて主に話したような気がします。その時、「できればこのまま連絡が途絶えないようにしたいものだね」などと話したのですが、案の定、忙しいAからの連絡は、彼の帰国後プツリと途絶えました。そして、私は「まあ、そんなものだよね」と思ったものです。Aはともかく非常に仕事熱心...、というか勉強熱心で、我が道を行くタイプ。そんな彼がマメマメと私にご機嫌伺いのメールを書く姿など、最初から想像できなかったからです。

それがつい最近、突然そのAから「来年までドイツにいます」というメールが届いたのです。青天の霹靂というのは、全く彼のためにあるような言葉です。再び「せっかくだから一度くらい」という話になり、先日、夫も含め3人で会いました。数年ほどのブランクの後に会ったのですが、Aは全く変わらず。3人それぞれ大いにしゃべる傍らで(ドイツ語と日本語がメチャクチャに混ざった妙な会話でした)、ケーキを2個もペロリと平らげていました。

その彼がポロリと言った言葉のなかで、非常に印象に残ったものが一つあります。

「これからの季節、ドイツって毎日天気が本当に悪くて、すごく暗いじゃないですか。最初にここに長くいた時は、これが本当に辛くて辛くて大変だったんです。だから、今回は辛くなる前に、太陽を浴びにアルプスを越えてイタリアに行くようにしようと思って」

意外な発言でした。Aは感情的になることもなく、また感情的な言葉を口にすることもなく、ましてや弱音を吐くことなど全くなく、仮に何か問題が起きたとしても、全て自分でサラリと解決できる自律型人間。そんな印象を持っていたからです。まさか、そんなAからこんな弱気な発言を聞くとは思いませんでした。この季節の暗さが、余程その身に堪えたに違いありません。

確かに「中欧の長い長い冬の暗さに耐えかねて、精神のバランスを崩す日本人は少なくない」とは聞いています。日の出が遅く日没が早いのに加え、日中にも太陽が雲間からほとんど出ないので、一日中夕方のよう。そのため体内時計が狂ってしまい、睡眠障害に陥る人もいるとか。しかし、既に8回目となるこの季節を迎える私にとって、この暗い日々は非常に中欧らしく思える、最も好きな季節なのです。実際、「え、睡眠障害?何の話?」というくらい、毎日よく眠れます。ですから、暗さによる体調の変化や精神的な辛さを、今一つ、理解できないというのが本音です。今まで「好きなものは好き。いいじゃん、暗くて」くらいに思っていたのですが、もしかしたら、この一点だけをとっても、私は中欧に住むには非常に向いていたのかもしれない。そしてそれは、適応努力云々とは全く別の次元で、とても幸運なことに違いない。絶え間ないおしゃべりのなかで、Aがポロリと漏らした本音によって、はからずもそんなことに思い至ったのでした。

後記

仕事柄ドイツに縁があるAとは、4年経った今でも彼がドイツに来た時には必ず会います。今ではつきあいも15年くらいになり、最も古い友人の1人になりました。私が日本を離れてこの12月で12年経ちますが、Aのほかにも未だに細々と連絡が途切れない人たちが何人かいます。彼らは年齢も性別もバラバラですが、1つだけ共通点があります。それは、過去に1年なり2年なり一緒に組んで仕事をしたことがある人々だという点です。その時に時間をかけて「この人なら大丈夫」という信頼感を(願わくばお互い)培い、それが遠く離れた今でも細々と友人関係を支えているのではないかと思うのです。
大学を卒業してしまえば本当の友人はできない。そうどこかで聞いた記憶がありますが、どうやら私の場合、この例には当てはまらなかったようです。

(この記事は、2019年11月24日にブログに投稿した記事に後記を書き加えた上で、転載したものです。)