フリッツ考察🌈SWINGしなけりゃ意味がない!

はじめに

この人物の掴めなさと言ったらなく、ひとこちゃん本当にご苦労様…なんとか人物像に厚みを持たせようと尽力されていたのはヒシヒシと伝わってきましたよ…という気持ちでいっぱいで、公演中はれいちゃんに「フリッツがわからない…」「フリッツをわかりたい…」とお手紙に何度もその時々の考察を書かせていただきました。(迷惑な手紙の典型)
しかし、ここでフリッツ考察を仕上げないと私のアルカンシェルは千秋楽を迎えられないので、まずは本編でしっかり描かれることのなかったフリッツのバックグラウンドを矛盾・無理のない範囲で整理。その後、彼がアルカンシェル劇場を巻き込んで行ったSWING!について考えをまとめつつ、フリッツに迫ろうと思いますが、既に限界を感じていることを先に述べておきます。(イケコが悪いよイケコが)

フリードリッヒ・アドラーという人

性格:
マルセルが「気が大きい」と評する通り陽気でポジティブ思考、巻き込み型、山師タイプ、失態を繰り返しても粛清されない強運の持ち主(実家が太い説あり)

経歴①(途中から軍人ver.):
裕福な家庭に生まれ、子供の頃から無類のエンタメ好き。大学で電波通信について学び在学中に兵役に就く。大学卒業後、既にナチスの管理下に置かれていたラジオベルリンに入局。「今宵ベルリンで」という音楽番組を制作、一躍人気番組となる。その手腕を評価されナチスにヘッドハンティング。国防軍所属となり文化統制機関に配属され文学作品・演劇等の検閲に携わるも、ナチスのやり方に次第に懐疑的になり反発心を抱くようになる。コンラートに伴われ文化統制官副官として占領下のパリへ赴任する。

 パリ占領期間の年齢(推定):25~28か29歳
 1915年生まれ
 1933年ナチス政権発足
 1934年(19歳)大学入学
 1935年(20歳)大学在学中に1年間の兵役
 1938年(23歳)大学卒業、ラジオベルリン入局
 1940年(25歳)文化統制機関に配属(国防軍所属)、占領下のパリに赴任

この経歴だとあの若さでどうやって中尉まで上がんねん!士官学校出ちゃうん?となるので最初から軍人であるという経歴も考えた。
第一次世界大戦敗北後、ナチスが1935年にベルサイユ条約を破棄するまでは軍備縮小のため士官学校や陸軍大学校は閉鎖されていたので、再開されるまでの間は大学で学んでいたとする。

経歴②(最初から軍人ver.):
裕福な軍人の家庭に生まれ、子供のころから無類のエンタメ好き。大学に入り電波通信について学ぶ。在学中に再開された陸軍士官学校に入学。卒業後、既にナチス管理下に置かれていたラジオベルリンに入局。「今宵ベルリンで」という音楽番組を制作、一躍人気番組となる。その手腕を評価され文化統制機関に配属され文学作品・演劇等の検閲に携わるも、ナチスのやり方に次第に懐疑的になり反発心を抱くようになる。コンラートに伴われ文化統制官副官として占領下のパリへ赴任する。

 パリ占領期間の年齢(仮定):25~28か29歳
 1915年生まれ 
 1933年ナチス政権発足
 1934年(19歳)大学入学
 1935年(20歳)陸軍士官学校に入学
 1938年(23歳)士官学校卒業、ラジオベルリン入局
 1940年(25歳)文化統制機関に配属(国防軍所属)、占領下のパリに赴任

経歴②の方が現実的か。(現実的とは)
フリッツは党員バッジを付けているのでどこかの段階でナチスに入党している。そう考えると実家がゴリゴリのナチ高官の家庭で、フリッツもHJに入っていたと考えた方が手っ取り早いかもしれない。(手っ取り早いとは)

とにもかくにも、以上!ここまでを彼のバックグラウンドとする!限界!

フリッツとSWING

前段として、ナチスがジャズを禁止していたのは事実であること。黒人蔑視に加えユダヤ人のジャズミュージシャンが多くいたためで、1932年には黒人音楽家の全ての公演を禁止、1933年にナチス政権が発足し帝国音楽院を設置、1935年10月には国営ラジオでの黒人音楽を禁止する法令が発布。本国ドイツにはスウィングキッズと呼ばれ、髪を切らず、ヒトラーユーゲントに入らず、ジャズを踊ることでナチスに抵抗した若者たちがいたこと(1993年制作の映画『スウィング・キッズ』、佐藤亜紀著『スウィングしなけりゃ意味がない』参照←ともに良作)、1941年8月には300人以上のスウィングキッズが逮捕され、なかには収容所や戦地へ送られ命を落とした者もいる。これらの事実をフリッツが知らなかったとは言えないし、エンタメ大好き人間を標榜するフリッツなのだから、学生の頃、あるいはラジオ局時代に、そうしたミュージックホール(表向きは別の音楽をやっている風を装って中ではジャズを演奏している)に通っていたことは想像に難くない。

フリッツがラジオ局の番組制作で培った大衆のニーズをキャッチする能力は文化統制官になっても留まることはなく、ドイツ兵のニーズがジャズであるからには何としてもジャズを板に乗せたい!規制が強い本国よりパリならば抜け道があるのでは?と考えたのかもしれないし、若い演出家と振付師が率いるアルカンシェル劇場ならばうまいことやれるかも!と思ったのかもしれない。
アルカンシェルの劇団員も普段は王道レビューをやっているが、世界中の若者がジャズに熱狂していたように皆ジャズが好きなことに加え(ジョルジュですらノリノリで踊っていたぐらい)、演出家と振付師がアメリカへ亡命したことで自由にものを作り出せる環境にあったため両者の利益が合致したのではないか。(プラス若者のノリ)
アルカンシェル側にはスウィングキッズのように頽廃音楽を敢えてやることでナチスに抵抗しようという意志を持った劇団員がいたかもしれないが、そうしたことを表現している演者は見当たらなかったように思う。

前段の通りジャズ禁止と言われているなかで上演するのは危険があると分かっていながら強行したのは、フリッツの意識が軍人ではなくエンタメ大好きワーオ!という方に傾いていたことは否みようがない。プロデューサーとして勝算もあったのだろうが、ここで皆を巻き込む危険性についてまるで考えなかった(→そんな描写はひとかけらもなかった)ことについてはフリッツの人間性を疑いたくなる。(故に性格の項に「山師タイプ」と入れたのだが、ここもっとなんかインサートしといてほしかったよイケコ…)

SWINGその後1・イヴへの思い

当局に隠れてジャズをやろうとしていたことが発覚し、マルセルは捕まり、ペペは収容所送り。カトリーヌもコンラートの策略でドイツへ連れて行かれてしまい、フリッツは降格し前線へ。アルカンシェル劇場にジャズを持ちかけたことについてのフリッツの後悔は劇中ココナッツ・パラディ後の場面で描かれてはいるが、この場面にはいくつもの違和感があった。フリッツとマルセルの台詞とそれに対する劇団員たちの反応を追いながら確認してみたい。(台詞はLe CINQ vol.238より引用)

  《私が軍に秘密でスィングをやってくれなんてお願いしたために
   皆さんに大変な迷惑を掛けてしまって申し訳ありません》

目の前で連行される人達を見た割りに、そしてペペもカトリーヌも帰ってこない状況であるのに謝罪が型通りすぎるな…というのが第一印象。マルセルもあんなに体を痛めつけられ、恋人と引き裂かれ、家族のように大切なペペとイヴ親子に苦難を与えられたというのに、WOW!SWING!をやっていた時と同じ感情をフリッツに抱けるものだろうか…と。(私が当事者だったら間違いなくフリッツに掴みかかってます)
ともかく大劇場ではしっかりとフリッツを見て話を聞いていたマルセルだったが東宝後半(4月最終土日)から対応が大きく変わり、フリッツの話をイヴに聞かせていいものかという逡巡、話を聞く意志を示したイヴを尊重しながらも心配を隠せず、フリッツの方にはほとんど目を向けないで伏し目がちorイヴを見ている、という演技に変わった。ここは演者としても落としどころを探り続けていたのだろうと考える。(当然ながらフリッツ役のひとこちゃんの苦渋に満ちた表情で語る姿、それはもう100点満点な演技だったです!)

  《ジョルジュの密告が原因でこうなったんだ。ドイツ兵にスィング
   を聞かせたいというあんたの意図は、国を裏切るものでも、パリ
   市民を苦しめるものでもない》

この台詞でもマルセルのアクションが大劇場から東宝で大きく変わった。東宝後半からは「ジョルジュの密告が」を強調するようになり、「パリ市民を苦しめるものでもない」でイヴの肩を組んだ手にグッと力を入れイヴを見つめていた。ジョルジュの密告を強調するのは必ずしもフリッツ擁護のためではなく(大劇場では擁護する意識が出ていた)、イヴに対して父親が収容所送りになった原因を作ったフリッツを恨むのではなく、何が起こったのか正しく把握してほしいという思いがあったからなのではないか。ここはフリッツに聞かせるというよりイヴに聞かせるように話す演技に変更されていた。(※もちろん観客にジョルジュの密告を意識づけるための強調でもあるのだが、この考察では観客の理解のためという点は脇に置いておく)
大劇場から東宝前半にかけてはフリッツに気持ちを向けている芝居をしていたが、東宝後半で思いの寄せ方がイヴ >フリッツとなったことで、マルセルとフリッツの立場の違いが明らかになったように思う。またイヴに寄せる思いが強くなったことでフリッツの悔恨が表立ち、身の危険を冒しても何としてもペペを救わねばならない!という慰問救出劇にしっかりとつながった。
そして慰問救出劇あっての爆破操作所なので芝居のニュアンスを変えてきたのは大正解。(これ恐らく全て演者によるものですけども)

この考察はSWING!に特化して書いているので爆破操作所までは辿らないけれど、フリッツが危険を冒してペペ救出に手を貸したことで初めてマルセルとフリッツが強い絆で結ばれ、その絆あっての爆破操作所での望まない再会(=トップと2番手引継ぎの場面)につながるので、立場の違いを明確にする必要性が絶対的にあったというのに、アルカンシェル側がフリッツの謝罪をまぁ仕方ないさーと受け止めて見えた当初の演出は理解に苦しむし、そこをなんとか中和させつつ物語の次につなげようと苦慮した演者たちには拍手を送りたいと思う。

閑話休題。マルセルの《ジョルジュの密告が…》を受けてロベールが

 《ま、簡単に乗っちまった俺たちも浅はかではあったな》

と、場を和ませるようなことを言うのだけれど、えっとぉロベールってナチスドイツ憎し!のレジスタンス運動をゴリゴリにやってる人だよねぇ…?と不可思議に思ったこともここに加えておきたい。
そしてこのロベールの台詞に対し東宝後半演技プランでは、マルセルが眉根を寄せて「そんなことイヴの前で言うな…イヴだってジャズをやることを楽しんでいた一人なんだ…」と思わせるような苦い表情を加えてきたのも正解だと思う。(すべからく演者任せでなんとかつないでるんだけど、それでいいのかという思いは消えはしない←パリは消えはしない、の感じで)

SWINGその後2・マルセルとフリッツ

そもそもマルセルとフリッツはこの時点ではSWING!でしかつながっていない。ジャズ版ドナウを依頼したものの偶然再会したアネットに「どう?稽古は順調?」と訊くぐらいだから、稽古場にはほとんど顔を出していなかっただろう。発覚を恐れて無関係を装っていたということもあるだろうし。
つまりマルセルとフリッツの間にはこの時点で命が懸かっても崩れないほどの友情が生まれていたようには到底思えない。

  《皆さんに、国籍や人種、宗教や政治的信念が違っても、音楽を
   愛する心に違いはない、音楽を通じて分かりあえるんだという
   ことを忘れないでほしいんです。いつか、また、パリでスィング
   を聞ける日が必ず来ます(後略)》

ミラクルに重ねてフリッツの信念が明かされる台詞だが、アルカンシェルのメンバーを危険に晒し、収容所に送られたペペの安否もわからない状況でのこの台詞に対する、ん?それ今ここで言うこと?という不可解さ。
フリッツという人物が掴めなくなっている原因が、戦時下に生きる軍人アドラーとご陽気エンタメ大好き人間フリッツとの完全なる乖離であり(そこの葛藤もほぼほぼ描かれていないので、ひとこちゃんが必要に応じてナチスに対する疑問と反発の表情を入れ込んでいた)、ジャズ版ドナウは結局のところ、エンタメ大好きフリッツ君がエンタメオタクとしてやりたいことやったらあらあら大変なことになっちゃったー!に他ならず、それを今さら国籍や人種、宗教や政治的信念が違っても音楽を愛する心は一緒!と言われることへの違和感。だってそういうグローバルな意図を持ってのSWING!ではなく、こよベル(=今宵ベルリンで)でヒットを飛ばしたギョーカイ人的うまみあってのSWING!だったのでは?と思うばかり。大劇場ではこの演説に感銘を受ける芝居をマルセル以下劇団員たちが積極的にしていたのでなおさら違和感があった。(東宝では感銘芝居は薄れていました)

このフリッツの演説に(フリッツだけでなくマルセル、ロベールの言葉に対しても)一貫して納得していない様子でいたのは大劇場・東宝を通じて龍季くんが演じるクロードだけだった。最後までがんばってくれてありがとう。

フリッツの罪

最後にフリッツの戦争犯罪についても触れておかなくてはならない。

2幕ラスト、ドイツ軍投降の場面でアネットに言う《釈放されたら必ずパリに戻る!》という約束は果たされなかったと私は思う。全てを知る青年イヴの悲痛な表情がフリッツとアネットの結末を物語っているから、ということもあるけれど、国防軍内の粛清をかいくぐり降格処分で乗り切ったフリッツでも、連合国軍による戦争犯罪追求の手からは逃れられなかったと思うからである。
パリ爆破計画に関わったことも重大な罪だけれど、それよりもサセジャズで描かれた捕虜虐殺に関与していた疑いの方が看過できない。
もちろんサセジャズは抽象的に戦争を描いたナンバーではある。しかし捕虜を先導しSSに引き渡す役目をフリッツに与えたこと、そのフリッツが号令をかけたあと悔やむ表情をして俯くこと、そして舞台からハケるときの切羽詰まった表情、これらからフリッツ(=国防軍)がホロコーストに関与していた、あるいはその可能性があるということを示唆していると考えて間違いないと思う。
国防軍無罪論が2000年代に覆され、何らかの形で国防軍もホロコーストに関与していたというのが以降の定説なのに、国防軍人であるフリッツを良い人として描くのはどうかという意見があるのは全くその通りなのだが、信頼して止まない某記者を含め批判する人達の多くが、サセジャズのフリッツについて言及しなかったことは非常に残念だった。

このサセジャズに関してはイケコブラボー!である。SWINGでヘタこいた分をサセジャズで回収したと言っても過言ではない。
またミラクルで歌われる《現実を離れて 言葉も国境も超えて 世界に 広がるエンターテインメント 奇跡を起こす》というあっけらかんとした脳天気な(失敬)歌詞よりも《辛い思いも 苦しい胸の内も 酒に溶かして タバコの煙に巻き 笑いと キッスの 坩堝に棄てる》という厭世観を享楽でごまかす歌詞の方がリアルに時代感が出ていると思う。

スウィングキッズたちがナチスへの抵抗の意志を込めて命懸けで踊ったSWINGを、エンタメ大好きなドイツ人将校がワーオ!とやってしまったことへの違和感。全振りされた演者たちが脚本・演出の穴を必死に埋めたけれど限界があった。それがフリッツという人物が捉えどころのない存在になってしまった最大の要因だと思う。
最初からフリッツを軍人としてしっかり描き、それでもどうしてもSWING!したかった理由をエンタメLOVE!NO MUSIC, NO LIFE!だけではない何かもっと具体的な使命によるものとして、最終的にフリッツの罪をもはっきりと描いてくれたら…と思うが、もうアルカンシェルの幕は閉じてしまった。

おわりに

知ってた!
フリッツという人物に結論など出せないことは初めから知っていました!
イケコが悪いよイケコが(再)。

ただ非常に苦労しながら物語の隙間埋めをしてきた演者の皆様に対し、観客の一人としてあなたがたの思いしっかと受け取りましたよ!ということだけは記しておきたかったのです。

そして、イケコが悪いよイケコがなんて散々書いていますけど、退団公演としては良作だったと思う気持ちに変わりはありません。
れいちゃん、まどかちゃんの魅力満載!萌えキュン満載!
こんなれいまどが見たかった!が盛り盛りモリタート!
穴があるから埋める・埋めるから考察できる、それもとてつもなく楽しかったですし、れいちゃんが東宝後半から細かいところ細かいところを詰め詰めしていく感じがたまらなくて、公開スパーリングを受けているような気分で客席で一人ウヒャウヒャしながらメモを走り書きしていました。

最後までお読みくださった方へ。
長い長い駄文にお付き合いくださり誠にありがとうございました。
私の書き方が断定的だと感じられた方もいらっしゃると思いますが、全ての根拠は大劇場41公演・東宝44公演を観てきた私の脳内にありますので、そこのところは何卒ご容赦ください。

ありがとう!アルカンシェル!
ありがとう!イケコ!
とてつもなく充実した3カ月半でした!
アビヤント!

(2024年6月1日脱稿)
(今後、加筆修正の可能性ありあり!)


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