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太陽の光

外は明るくなってきた。

1日の半分は明るくて半分は暗い。
よくできたシステムだと思う。

晴れの日がとにかく好きで
まあ、みんなそうかもしれないけど
雨の日がとにかく嫌い。

日光を浴びると幸せホルモンが分泌されるらしい。

季節でいうと、1番冬が嫌いで1番春が好き。
梅雨の6月は嫌いで、夏は好き。

今思ったけど 日射量に影響があるのかも。

冬が嫌いな理由としては、
寒いのが大嫌いなのは大前提で
「まち全体がなんとなく暗い雰囲気をまとっている、なんとなく人が冷たい気がする」

春が好きな理由は、
大嫌いな冬が終わるというのは大前提で
「まち全体が明るくなっていく気がする、人の心が温かくなる気がする」

これって自分含め人々が幸せホルモンを感じていない冬と、最低値から幸せホルモンが回復していく春、ということだろうか。
今まで考えたことなかったけど、好きな季節/嫌いな季節が科学的に証明されてしまった。

冬、人肌恋しくなるのは幸せホルモンが足りないからなのかな。

ところで、太陽光から目を守るために、あるいはファッションとしてサングラスがある。
サングラスをかけている人はどこを見ているか分からない。同じように、心にサングラスをかけている人は何を考えているか分からない。

自分は心にサングラスをかけているタイプだと思う。といっても自己開示は積極的にするから人と仲良くなるのは早い。自分を隠しながら心の中で相手を見ている。それでいて自己開示はするのだからタチが悪いと思う。


自分と他人を割と区別している。
うわ、でもこれ気になるな。他の人ってどう思うんだろう。でも意外とどうでも良い人を気にしちゃう人って多いんじゃないかな。

例えばそこにいない人の話題が出て、こういうとこ苦手なんだよな〜って話題になったとして、
そういう部分があること自体は共感できることはあるけど、苦手だな〜という部分に共感できることは自分に直接的な何かがない限りはあまりない。


義理と人情が売りだけど、たまに自分が冷たいと感じることがある。
人に対してそこまで自分ごととして捉える人に感心する。人の弱点はその人の試練だ、と割り切ることが多いから。年が上とか下とか関係ない。

社会に出るとたくさんの価値観で溢れていることを目の当たりする。色々な人種のいるコミュニティに放り込まれると本当に色々な人がいておもしろいと思う。

自分は心にサングラスをかけていると言った。
人の本質はみるくせに自分の本質は探られたくない。それはきっと自己防衛で、別に自分に本質に後ろめたいことなんて微塵もないけど、だからこそその本質を見られて幻滅されたくないんだと思う。

ただ関わり合ううえで関係性を築くうちに自然と透明になっていく。そのときにはもはや他人ではなくて、自分の一部だと思う。あなたはもう他人ではない。
きっとこれからも自分と似た価値観の人と一緒に過ごしていく。

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