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全て意味のある経験

久しぶりのnoteです。
最近の変化・出来事・学び・氣付き…多すぎて、
何から書こうかな。

とりあえず、2年間勤めたパートを昨年度末で辞めました。
今日はこの、パートのお仕事について書きます。

私は結婚してから10年ほど、ほぼ専業主婦でした。
上の子たちは小学校高学年になり、末子も入園の年だったのでパートの仕事を始めようと思いました。
パートとして選んだのは、小学校の給食のお仕事。
友人が勤めていて、仕事内容なども聞いていたし、何より魅力的なのは
土日や、夏休みなどの長期休暇を子供と一緒に過ごせること。

この二年間、仕事の内容は嫌いではなかったし、
人間関係も問題なく楽しくやらせてもらっていました。
(私と合わない人たちではあったけれど、そこは割り切っていた。笑)

パートの仕事をするまでは、専業主婦だったので、
自分と氣が合う人だったり、同じ趣味の人、考え方が同じ人が
私の周りにいたわけです。
自分がいつもマイノリティである自覚はあったけれど、
それを痛感することはなかったわけです。

パートを始めて私は一応、公務員という立場になりました。
4月に職員となり、まず、いわゆる【お役所仕事】というものを目の当たりにしました。
末子の保育園に提出するための就労証明を担当部署でお願いしたのだけれど、
そのためにまず、「証明書を依頼するための用紙に記入」する。
おそらく、その用紙は上司などの許可印?的な手続きを経るのでしょう。
そうして肝心の就労証明書はその場ではもらえず、後日郵送されるわけです。(時間も手間も郵便代も郵便屋さんの手間もかかってるね。)
この、ペーパーレス、印鑑レスの時代に、これがお役所仕事ってやつか!
くだらないっ!!・・・と私は呆れたわけです。
(そういう私も超アナログ人間で紙媒体とか大好きなのだけどね。)
この人たち、こういう作業を減らしていったら、もっとお仕事が効率よく捗るよねぇ?なんか、超無駄が多くない?しかも税金だよ?みたいなね。
元々、社会に対する反抗心・反発心みたいのが強いので、
こういうのすぐ反応しちゃうね。(苦笑)

言っとくけど、これだけじゃないんですよ。
面接が終わって、採用が決まって…のやり取りの間にも、既に
「え??」と疑問に思うことが多々あったのです。
挙げたらキリがないから割愛しますがね。

時はコロナ禍。
パートを始めて2ヶ月が経った頃。
学校職員は優先的にワクチンが摂取できるということになりました。
〇日の〇時から、受付の電話ができるよ!ということで、
仕事中の時間帯でしたが、皆が交代で、予約の電話をしていました。
「取れた!取れた~!次あんた電話しておいで!」みたいに、
そりゃあもう、ライブのチケットを取っているのかな?みたいな
お祭り騒ぎでした。
摂取なんて絶対御免だと思っていた私は、何か言われるんじゃないか、
変な人と思われるんじゃないかと、ビクビクしていたものです。
私の仕事が、お休みの人の代わりに、市内の小学校あちこちに派遣される立場だったのですが、どこにいっても必ずワクチンの話になるし、
「ワクチン打った?」とか「(接種後)熱とか出なかった?」みたいに聞かれたら嫌だなぁとオドオドしてました。

もう、おわかりですよね?
職場の皆様は【THE 一般的な方々】なのです。
話題はいつも「テレビでこう言っとったで」とか「感染者〇人も増えた」とか、
不調があれば薬を飲むし、不調にならないように薬を飲むし、
テレビやネットの情報をそのまま鵜呑み。噂話大好き。悪口も大好き。
うん。とってもとても居心地が悪う御座いました。
それでも私、基本的によっぽどじゃないと嫌いということにならないので、
普通に心から楽しくコミュニケーションはとっていました。

でもまあ、それ以外にも、
例えば衛生管理(大事なことだけどね!)を追い求めるあまり、
視野が狭くなっていて、現場が苦しい思いをしたり、
真の「食育」を考えるならば、大事なのはそこじゃないんじゃない?みたいに思うことも多々あったし、
現場ではあれこれ文句を言ったり、現場だからこそわかることもあるのに、
それを上にあげない、上げたところでなかなか現状が変わらないという現実もある。
そういう組織の在り方、教育の在り方などが、残念だし呆れてしまうというか。

そういう場に身を置いて、とにかく苦しくて苦しくて仕方のない2年間だったわけです。
当時はまだ私も、二極化&ジャッジをめちゃくちゃしていたし。
2年目は、まみさんの講座受けていてマインドの学びをしていたし、
占星術の学びやセッションも並行してやっていて、
パートをしつつも「私は星読み師」として生きていたから、
まだ少し楽だったかな。

パートも仕事はね、とっても楽しく楽でしたよ。
それでお金もらえるなら、このままでいいじゃんって思うくらいのぬるま湯でした。
でもやっぱり私のいる場所はこんなとこじゃないと思った。
人手が足りないのわかっているから、苦しいけど契約期間は満了しようと決めていて、昨年度末、ついに退職!
晴れて自由の身になりましたーーー!

この2年間とっても苦しかったけれど、
一般的な思考を持たない私にとって【一般的な考え方】を知るとても良い環境であり、
また、【やっぱり私はそうじゃない】と改めて確信できる機会でもありました。

だから、この2年間は私にとって絶対に必要な経験だったと思える。
職場の皆さんに感謝です。
そして、なかなか変えられないお役所という組織や学校教育については、
今後も私なりに向き合っていきたいと思います。

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