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私と音楽①

昨日、とあるワークショップに参加して。
それについて書きたいのだけど、それについて書くためには
私の音楽人生を振り返る必要があると思ったので、
まず、そこから書き始めます。
私自身の記録として。


私が音楽を始めたのは、幼稚園のとき。
通っていた幼稚園に、出張グループレッスンみたいなのがあって、
そこで電子オルガンやピアノを習いました。
私も親も、そんなに熱心なわけではなかったけど、
楽しみながら小2くらいまで(?)通っていました。

その頃、テレビアニメで「世界名作劇場シリーズ」というのがあって
私はそれが大好きだったのだけれど、
当時見ていた『小公子セディ』で、セディのお母さんがフルートを吹いていて。
それで私もフルートを吹いてみたくなった。
『小公子セディ』のストーリーがどんなだったかは全く覚えていないけど
フルートを習うきっかけだったことだけは覚えてる。
それでフルートを習い始めたのが小学4年生。

この、フルートを習い始めたことをきっかけに、
フルートとは関係ない部分で
私の煩悩というか…金銭感覚だったり、物欲だったり、
なんかそういう見たくないようなこと、色々自覚するのだけど、
そこまで書くと話が逸れるのでそこはスルー。
でも、そんな嫌な自分を知るきっかけになったのも、この習い事であり、
その後の音楽人生の中でも、それらはつきまとい、
だからこそ、私の音楽人生は私の中で黒歴史となる・・・

フルートは、その後もずっと辞めずに続けていたけれど、
別にめちゃくちゃ好き!!だったわけでもなく、
練習も、レッスンに行く前に1回さらう…程度の
全然がんばってない、熱量薄い感じだった。

そんな感じで月日は流れ、中学3年生。受験生。
私は別に勉強とかもがむしゃらにやっていたわけではない。
とにかく、人生で何も本気で頑張っていない。
努力とは無縁の人生をのらりくらりと送っていた。
でも、成績は悪い方ではなかった(?)し、
ずっと学級委員とか生徒会とかしていたようなタイプだったから
「きっと良い学校に行くんだろうね!」という誰に言われたわけでもない
勝手な妄想でしかないプレッシャーがあって。
そんな幻のプレッシャーから逃れたくなり、
「音楽で高校に行く」という選択をしました。

音楽を【逃げ】に使ったわけです。

音高を受験するとなってから、
そのためのレッスンとかにも通ったりして、
すんなり受験は合格。

でも、そんな熱量だから、高校生活は苦痛だった。
そんなに音楽にたいして情熱もないし、
練習も好きじゃないから上達するはずもなく。
サボることばかり考えてたし、実際いっぱいサボってた。
やっぱりいつも逃げてる私。
今思い出してもほんと、自分が嫌になる。

それでも、大学受験となったら音楽の道しかないから
音大に行くために、志望校の夏期講習受けたり、レッスン受けたり。
でも、大学に行く目的は音楽の勉強ではなくて、
東京で一人暮らしして、やってみたい習い事をしたり、バイトをしたり、
そっちがメインだったな。

大学生になってからも、私の音楽への熱量はだいぶ低かったし、
タワレコの【NO MUSIC, NO LIFE】って言葉を見るたびに
「私は別に音楽なくても生きていけるな…」とか思ったりしてたけど、
でも、音楽が嫌いなわけでもなくて。

バイトや習い事や趣味でも本当に多くの学びや経験を得たけど、
キャンパスライフも、ウィーンで2週間の短期留学(必修科目)をしたり、
フルートオーケストラでドイツ演奏旅行をしたり、
オーストラリアのオペラハウスで合唱したり…と
とても良い経験をさせてもらったのよね。

それでも、
私自身は相変わらず努力の欠片も持ち合わせていなかったし、
学生時代に得た多くの貴重な経験は私の糧にはなったけれど、
演奏者としては【劣等感】と【自信のなさ】を感じるばかりだった。
音楽ってお金がめちゃくちゃかかるし、私はお金のことが苦手だから、
親に申し訳なさばかりが募って、音楽人生全てに蓋をしたいくらいだった。

そんなわけで、卒業してからスッパリと、
私は音楽を辞めた。
演奏会にOGとして参加したり、
時々演奏することはあったけれど。
音楽とは関係のない人生を歩み始めた。

②へ続く。


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