見出し画像

いつも矢印は外側だった

私の人生、いつも矢印は外側に向いてた気がする。


学生の頃から、環境問題を気にして、
使い捨てとかなるべくしないようにしていたし、
パン屋の過剰包装が大嫌いだったし、
レジ袋有料になる前からマイバッグ使ったりしてた。
年賀ハガキはカーボンオフセット葉書を選んでみたり。

新社会人として働いた会社は超ブラック企業で、
お給料日にお給料もらえないの当たり前で、←え。
お金なかったくせに、
貧しい国の子供たちへの募金を毎月していた。


それ以外にも、
臓器売買・人身売買などの問題や、
アニマルウェルフェアとかパピーミルの問題、
児童労働とかフェアトレードについてなど、
詳しく知ってるわけじゃないけど気にしていたり。


環境のためにビーチクリーンやゴミ拾い活動をしたり、
なるべくプラスチックなしの生活を心がけたり、
環境のためにはグレタちゃんみたいに
ヴィーガンになった方が良いのはわかっているけど、
なかなかできないことを後ろめたく感じたり。


そうやっていつも問題を自分の外側において、
そっちにばかり目を向けてた。
自分のしている事はきっと正義だとも思っていた。

【しあわせと豊かさの学び】の
2回目の講座の日、
とても腹立たしいことがあって、
私はとても怒っていた。


毎回、講座の初めにする、
一人一人の気付きを話す時にも、
「私は今日すごく怒ってるんです!」
とか言っちゃって…。
数ヶ月後に、仲間とリアルで会った時に
「あの時の印象が強かった」と言われ、
お恥ずかしい限り…。。

その日の怒りの原因は、
職場で毎月2回、
PCR検査を受けるようにとお達しがあり、
【同意の上】と波線で書かれているにも関わらず、
ほぼ強制的であったこと。
別にコロナに感染しているかどうかが
わかるわけではないPCR検査を
定期的に受けることが、
子供たちのためになるとは思えなかったこと。
世間で「無料」と言われているけど、
検査費・人件費・キット代…諸々が
無料であるわけないじゃないかー!
そんな感じで、怒っておりました。
職場の人達は誰も疑問に思ったりもせず、
当然のように従っているのも
なんだかなぁと思った。


こんな風に外側の問題に目を向けて
辛くなったり悲しくなったり
世の中に呆れたり絶望したり
自分の非力さに途方に暮れたり…
私の浮き沈みの原因にもなっていました。


けど、矢印を向けるべきは自分。
目の前の現実は私自身が創り出しているのだから。
私は本当はどうしたい?
どんな風に感じている?
それは心地よい?


自分自身に矢印を向けるようになったら、
外側の問題に右往左往させられることはなくなった。
関心が無くなったわけではないけど。


矢印を外側に向けて
社会のせいにしたり、
人のせいにしたりするのではなく、
矢印は自分に向けて、
自分自身とまず、対話していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?