比較麦酒的考察

 ビール作りの「基準」というものがある。

 ドイツでは言うまでも無く1516年の制定以降、「ビール純粋令」がその基準になっている。この法律が制定された背景には、当時、ビールの原料に混ぜ物をする等、醸造における衛生面も含めて、著しく劣化したビールが生産され、流通していたという歴史がある。一定のクオリティを担保するために、法によって原料を限定し、それを頑なに守ることを彼の地の人々、醸造所、換言すれば酒飲み達は選び、今日まで維持してきた。

 世界的な「クラフトビール」ブームは、今やドイツも例外ではなく、多くの才能や野心ある人々が様々な試みを行っているが、ここでも「ビール純粋令」が正にその「基準」の役目を果たしている。つまり、麦芽、ホップ、水、そして酵母以外のものを使用すれば、ドイツでは「ビール」という名称が使用できない、という厳しいルールの下、あくまでもこのルールを遵守する中で最高のものを作り出す、という考えと「ビール」という名称は要らない、従来の考えを超越したものを作りたい、という考えが衝突している。「ビール純粋令」=クオリティの担保、という不動の哲学を中心に、その境界線を挟み、日々、格闘が続けられている、と表現することもできるだろう。

 翻って日本では、その「基準」が酒税になっている。酒税の高さ、すなわち販売価格の高さをいかに改善するか、という部分に、各ビールメーカーは近年、懸命の企業努力を続けることになった。酒税が少しでも安くなるように原料に手を加え、すなわち僅かでも販売価格が安くなるよう、そして、少しでも「ビール」に近い味を実現できるよう、商品開発をしてきた。その結果として、どれだけ効果のある宣伝広告を打ち出せるか、缶やボトル等、そのパッケージを差別化できるかといった、ビールのクオリティそのものとは全く関係の無い方向にベクトルが向くことになってしまった。非常に残念なことに、日本で才能や野心のある人々がビール作りの現場に参入しようとしても、この酒税の高さが大きな障壁となり、また先行するビールメーカーも協力的ではないばかりか、少しでも上手くいきそうな「クラフトビール」の銘柄があれば、自社に取り込んでしまおうとするのが現状だ。

 日本のビール関係者は、このような視点からの比較や考察を殆どしない。そういった方向に視線が向かないほど、酒税の問題、影響が大きいとも言える。しかし私は思うのだ。我々酒飲みは、沈黙の納税者のままではいけない、と。

 ドイツビールのクオリティ維持の意味や日本におけるビール作りの実情を知ることは、間違いなくこの国のアルコール文化の成熟に寄与する。私の目の前の注がれたビール自身、そう言っているような気がするのだ。

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