「プルゼニュの酒場へ」vol.2

 チェコへの入国は、東京から神奈川へ行くのと同じほどあっけないものだった。ベルリン始発の国境越えの特急列車には乗客は殆どおらず、東京のチェコ大使館発行のビザにも何ら問題は無かった。駅名表示がドイツ語からチェコ語になり、車窓から野生の鹿を頻繁に目にするようになった。

 地名の響きに惹かれるのは、観光客が目指すプラハではなく、あくまでもプルゼニュだった。チェコ国内で乗り換えたローカル線には、外国人らしい乗客は全く見当たらなかった。ビールの町は、もうすぐだった。私は、チェコ語での挨拶とビールを注文する際の決まり文句を反芻していた。

 駅前には、これと言って何かがあるわけではなかった。灰色の町だった。英語が殆ど通じない代わりに、ドイツ語では意思の疎通をはかることができた。そんな時代だった。駅のインフォメーションで尋ねたところ、町には3軒ほど宿があるという。その中で最も安い宿に向かった。日本円で一晩数百円という、ベッドだけがある古い部屋だった。暗い照明に汚れた窓ガラス。それでも何の不満もなかった。ドイツ語名ピルゼン。このプルゼニュで、この町で誕生したビールを飲む。ピルゼンのビールだからピルスナー。飲めるだけ飲む。私は一人興奮していた。

 町は閑散としていたが、酒場は直ぐに見つかった。町の食堂を兼ねているような店だった。老夫婦二人が座っているテーブルの隣に案内された。チェコ語とドイツ語が併記されたメニューを眺めていると、不意に店員がビールを私の前に置いて言った。ドイツ語だったので、はっきりと理解できた。「あなたからビールの香りがする。だから当然だ。」覚えたチェコ語の出番は無かったが、いきなりビールの町に歓迎されたような気がした。店員のスマートさに、ビールへの欲望が一気に加速した。ある種の感情が沸騰していた。

 そのビールの美味さは、立ち上がり、大声を出したいほどのものだった。一杯が日本円で数十円だっただろうか。料理も前菜やスープ、主菜も同じような価格だった。遠い異国の若造が一人、我武者羅に飲み食いしていた。

 ふと隣のテーブルを見ると、老夫婦がビールをゆっくりと飲みながら、一つの皿の料理を分け合っていた。私はその刹那、自分を深く恥じた。体制が劇的に変化し、チェコはまだ貧しい時代だった。が、本当に貧しいのは私の方だった。私のビールの飲み方だった。

 救われたのは、店を出る際、覚えたチェコ語でその老夫婦に「さようなら」と言い、彼等もまた笑顔で「さようなら」と言ってくれたことだった。「ピルスナーの元祖」という銘柄は、だから私にとっては特別なビールであり続け、そのビールを前にすると、今でもあのビールの町の情景を思い出す。

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