彼等の「定義」

 広く欧州のドイツ以外の国で、ドイツとドイツ人の悪口を言うと非常に喜ばれる。フランスでは「この国の悪いものは全て、ライン川の向こう側から来た」と言われているし、イタリアでは「この国の海で9月になっても泳いでいるのは、犬とドイツ人だけ。10月になっても泳いでいるのはドイツ人だけ」というのを耳にしたこともある。私が当時住んでいたドイツから訪れ、「ドイツは寒い」と言うと、それだけで「そうだろう、寒い国だ」とある老夫婦に喜ばれたこともある。これは、二度の世界大戦を引き起こした歴史的経緯やナチズムの記憶、現在の圧倒的な政治力、その背景としての突出した経済力の裏返しでもある。

 EUに当時、新規加盟したばかりのドイツの隣国ポーランド。政治的にも経済的にも旧共産圏からの加盟国として「優等生」と呼ばれていたが、その国の経済力は、ドイツを100とした場合、僅か3でしかなかった。ドイツ国家。そこから生まれる周辺への影響力は、極めて大きいものがある。そして、その反感や嫌悪、揶揄したくなる気持ちも大きくなっていく。ドイツ語圏のオーストリアやスイスにおいてさえ、何においても「兄貴面しやがって」ということになる訳である。

 これがサッカーのように分かり易い分野になると、親善試合でさえ、ドイツの敗北が「慶事」になる。以前、ドイツとルーマニアの親善試合で、ルーマニアが勝った翌日、町中をルーマニアのレプリカユニフォームを着た多数の人間が闊歩していた。自分の生活圏に、これほどのルーマニア人がいるのかと驚いた記憶がある。だからワールドカップや欧州選手権のような公式な大会でのドイツの敗北は、欧州の多くの人々にとって、それこそ素晴らしいニュースとなる。

 そんな欧州ではあるが、逆にドイツやドイツ人の「良い所」を聞いてみると、誰もが口にするのが「ビール」、ということになる。ドイツ人が歴史上唯一、人類に貢献したのはビール作り、という意見も聞いたことがある。美味いビールがあるからEUに加盟が許されているとか、ビール作りだけやっていれば実にいい人達なのに、という声もある。ドイツ人の勤勉さの象徴、と持論を述べる酒飲みに会ったこともある。どれも正しいのかもしれないし、ドイツ人自身も酒場であれば、すなわち酔っていれば「その通りだ」と言うのかもしれない。

 ドイツビールとは何か。その「定義」は、普通はそんなに難しいものではないが、欧州の人々の「どこまでも憎らしい、目の上のたんこぶのようなドイツだが、そんな彼等が醸造する極上のビール」という「定義」もあながち間違ってはいないのかもしれない。

 遠い欧州の我々の同胞、そんな主張をする酒飲み達のことを考えながら飲むと、目の前のいつものビールも、ちょっと違う味になるのかもしれない。

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