ビールを注ぐということ

 日本の飲食店では、ビールの「中生」や「大生」という呼び方がされる。しかしながら、そこには何か統一された基準がある訳ではなく、店によってその「量」は様々だ。極端な話し、これがうちの中生だ、と店側が言えば、それで終わり。恣意的に決めることができる。だから「パイント」、「ハーフパイント」等と表記されている店は、良心的な店と言える。曖昧さを無意識に許容する日本社会の有り様と言えばそれまでだが、例えばドイツ語圏では、ビールの量は必ず明示され、グラスやジョッキにもその数値が書かれている。酒飲みの側にとっては、正しい量のビールが注がれているかどうか一目瞭然ということになっている。

 このような曖昧な、或いは適当な状況が当然となっている日本で、ビールをグラスに注ぐという作業そのものに興味が無い酒飲みも多いだろうとは思う。が、ビールはグラスに注ぐことで、もう一段上の飲み物になり得る。日本のビールメーカーも当然、そのことは知っているものの、売れれば売りっぱなし、清酒の一合コップのような小さな器にビールを注ぐような現場を見ても何も言わない。そうやって、今日まで来てしまった。

 欧州の多くの醸造所では、自分のところのビールを最も美味い状態で酒飲みに提供するために、その銘柄に合ったグラスやジョッキを作っている。上手く空気が入るように、しっかりと香りが立つように、そして、ビールが最も美しく見えるように。もちろん、その銘柄の宣伝広告という側面も考慮に入れて、グラスの大きさや形状は決められていく。ドイツ語圏であれば当然、ビールが入る数値もグラスに記載される。その線までは必ず液体が注がれ、その上にしっかりと泡を作れるように、と。

 ボトルの中にカットされたライムを突っ込み、そのままラッパ飲みするメキシコの有名銘柄がある。あんな風にボトルから直接飲んでも同じだろう、何も変わらないだろう、という酒飲みもいるはずだ。が、あの銘柄は作り方が通常のビールとは異なり、原料の「抽出物」から出来ている。そもそも別の飲み物なのだ。だからビールには必須の遮光ボトルではなく、透明なボトルに入っている。あの銘柄は、そうやって飲むのが正しい。

 グラスを用意できない状況というのはあるだろう。どうしてもボトルや缶から直接飲まなければならないこともあるだろう。が、そんな場合を除いて、ビールを注ぐ、という作業を疎かにしてはならないと思う。目の前のビールを、銘柄や産地が何であれ、正しい状態で、可能な限り最適な条件で飲むこと。それは、作り手に敬意を払うことでもある。私は、ビールをグラスに丁寧に注ぐ努力をすることは、酒飲みにとって、尊い作業だと思う。そしてまた、何よりも幸福な時間だと思うのだ。

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