日本の飲食店に奮起を促す

 人間は弱い。だから、昨日と同じやり方で商売ができるのであれば、更なる高みを目指すこともしなくなる。いや、初めから努力しようという意志など持ち合わせていないのかもしれない。

 この国の飲食店のことである。客にアルコールを提供する彼等は本来、その「プロフェッショナル」でなければならないはずだが、実は全く勉強していない。酒類に興味が無いと言った方が適切かもしれない。

 もちろん少数ではあるが、自分の店で出す酒類にとことん拘り、料理との相性を考え、自信と酒への愛をもって、その酒を客に勧める店もある。しかしながら、そんな店はごく少数であり、例外的な存在なのだ。残念ながら、それが現実である。私はそう断言しようと思う。

 一から十まで酒屋や問屋の言いなりになり、酒の銘柄一つ自分で決められない店。メニュー作りからグラスの無償提供、サーバー等のメンテナンスまで一切合切お任せという気楽さを手に入れる代わりに「どこにでもある店」以上の存在には決してなれない店。単なる努力不足を「うちは昔から、この銘柄一本だから」という思考停止の台詞でやり過ごそうとする店。酒飲みはもう、こんな店を選ばない。

 メーカーが、莫大な広告宣伝費を使った銘柄を何の疑問もなく使う店は、これからも消えることはないだろう。酒屋も問屋もこれまで以上に強力に勧めるだろう。日本では、酒造メーカーから飲食店への配送まで、そういったシステムが確立している。が、その事象を無批判に受け入れる飲食店を「酒類に関して何も考えていない店」という形で解釈する層も確実に増えていくだろう。酒類を提供する店なのだから、何よりもまず、誰よりも先にその酒に関して勉強し、主張する。この実に単純な、そして当然と言えばあまりに当然な考えに対し、それが出来ない理由を探し、その考え自体に疑念を抱く店は、酒飲みに背を向けられる。間違いなく、そんな時代になりつつある。

 九州のある地方料理を売りにした飲み屋がある。そこに、どう考えても不似合いな、或いは場違いな、フランスのある地方の名の知れたワインが数本置かれていた。桜の季節だった。付き合いのある問屋から、焼酎や日本酒との抱き合わせで「どうしてもお願いします」という言葉と共に店にやって来たそうだ。誰一人注文することなく、店に寝かされたままだった。
気が付けば、三度目の桜の季節が過ぎていた。つまり、足かけ三年という時間が流れていた。その店の料理は、心のこもったものばかりだけに、出番のない、異国から来たその有名銘柄が、私には哀れに、悲しげに見えた。

 あの店に行かなくなって、もうかなりの時間が流れた。


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