「ゴゼ」というビアスタイルから考える

 ゴゼ(Gose)というビアスタイルがある。ゴーゼと表記される場合もあるが、ここではドイツ語の原音に近いゴゼと書く。

 ドイツのハルツ地方で作られ始めたと言われており、900年代の終わりには、既に記録に残っている。通常のビール原料に加え、塩やハーブ類が含まれ、乳酸菌も用いて発酵させる。これは、鉱山労働者のために醸造されたものではないかと考えられている。900年代の初めには、ハルツ地方には多数の鉱山労働者がおり、効率的に塩分、水分、栄養分を補給するために発達したらしい。当時の衛生状態、栄養状況を考えると大いに納得できる。ここで後に問題になるのが、1516年制定のビール純粋令との関係になる。麦芽、ホップ、水、酵母以外は一切使用できないという、現存する世界最古の食品管理法と正面からぶつかることになった。ゴゼ醸造関係者からしてみれば、何百年も作り続けてきたにもかかわらず、後から作られた法に規制を受ける形になる。「ビール」という名称を使うことができなくなり、時代と共に、生産量も激減していった。

 近代において、ビール純粋令は更に厳格に守られることになるが、ドイツが東西に分割されていた時代に、このゴゼの哲学や醸造技術が旧東側、特にライプチヒに辛うじて残ることになった。ビール純粋令が、旧西側にしか適用されなかったからである。その影響もあり、「ビール」という名称は使用できないものの、ビール純粋令制定よりも遙かに歴史のあるゴゼが今に伝わることになった。こういった歴史的経緯を見ると、販売価格を安くするための発泡酒や第三のビールといった、「ビール」という名称を本来は使えないこの国の飲み物とは、随分と違う印象を誰もが受けるのではないか。

 このゴゼも、ほんの少量ながら日本に輸入されている。ゴゼに限らず「これは」という酒類を様々な業者が輸入しているが、この業者がそれぞれ情熱を持ち、業者間で切磋琢磨することは、我々酒飲みにとって実に幸福な状況だと私は思う。結果として、この国のアルコール文化の成熟にも繋がるとも思う。我々酒飲みが、単に商材を右から左に流すのではなく、酒飲みの側に立ってしっかりと情報発信に努めるような輸入業者を支持し、或いは批判する。それが、今まで以上に意味を持つような気がしてならない。酒飲みが、輸入業者を育てるという環境は、長い目で見れば、国内の酒類メーカーや関係者にも良い影響を与えることになると私は思う。

 人生において、飲めるアルコールの量は自ずと決まってくる。だからこそ我々酒飲みは、自ら選んだ酒類を飲みたい。様々な制約や巧妙に隠された強制から自由になり、別名「消費者」という酒飲みが、知らぬ間にされている「目隠し」を自分で外す。ゴゼというビアスタイルの存在を前に、私はついそんなことを考えてしまうのだ。

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