ある酒屋

 中部地方のある町に、その酒屋はあった。

 業界では、斜陽産業の典型例として語られる一般的な「町の酒屋」だが、その店も「時代の波」に抗えず、かなり前に酒屋からコンビニへとその営業形態を変えた。当然ながら、コンビニで扱うのは酒類だけではなく、むしろ酒類以外の商品の販売が多数を占める。酒類といっても大手の、どこにでもある量産された缶ビール等が主流になる。店主と従業員は、日々消耗し、売り上げの大幅な上昇に伴い、商材としての酒への思いは薄れていった。

 きっかけが何だったのか、店主は覚えていないと言った。が、こんなことではいけない、そんな思いが自分の中に生まれたのは間違いない、とも話してくれた。その町で代々受け継がれてきた酒屋なのだから、やはり酒で商売をしたい、勝負をしたいと考えたのだろうか。その店主は、「時代の波」に完全に逆行し、コンビニを「徹底的に」、「完全に」酒屋に戻してしまった。従業員からも親族からも反対の声しか出なかった。当然だろう。離れていく人間も多くいた。

 店主はまず、大手の問屋やメーカーの言いなりになるのを止め、自分でいいと思った商材だけを扱うことにした。定休日を厳格に守り、その時間を試飲会への参加や全国各地の蔵元の訪問、酒類の勉強等に充てることにした。彼は、ビール一つとっても、ワイン一つとっても、勉強することは無限にあり、一生という時間をかけても勉強しきれない、と感じたと言った。酒類への努力を続ければ続けるほど売り上げは落ち、苦しくなっていった。それでも自分の信念を通し、酒屋としての矜持だけで努力を続けた。

 そんな精神論的な、もっと簡単に言えば、意地だけのやり方でも、続けることで人が集まり始めた。近隣の酒飲み、拘りの強い飲食店のみならず、遠方からも人が来るようになった。まずは、あの店に相談したい、あの店主の意見を聞きたい、そういう顧客が少しずつ、本当に少しずつ増えていった。これが、業界ではよく知られた、ある「町の酒屋」の最初期の出来事だった。その店主が、笑顔で私に聞かせてくれた物語だった。

 酒飲みにとって、こんな店が生活圏にあればと思う。あれば楽しいだろうと思う。同時に、我々酒飲みが、大手メーカーや問屋が作り上げた既存システムに従うことなく、自らその「目隠し」を外し、飲みたい酒をきちんと探すようになれば、状況は変わりうるとも思う。場所を問わず、通販等含め、その兆しはある。「自分が選んだものを飲みたい」という思いが、この業界を変えうる。酒飲みが酒に拘らなくなったら、この世界は更に退屈になってしまう。あの店主が教えてくれたのは、実はそんなことではないのかと、最近私は思うのだ。

 そして、彼が亡くなったと耳にしてから、随分と時間が流れてしまった。

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